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リスボン・バイシャ地区

大西洋に注ぐイベリア半島最大のテージョ川北岸に位置し、外洋から10数km遡った天然の良港に恵まれて栄えた都市リスボンは、“7つの丘の都”と呼ばれる起伏の激しい土地に展開する、静かで趣のある美しい街である。そのリスボンのダウンタウンの中心を占めるバイシャ地区は、1755年の大震災後に再開発された地域で、復興、再建に強権的な指揮を執った宰相セバスティアン・デ・カルヴァーリョ(後のポンバル侯爵 1699~1782)の名と、「低い土地」を意味するバイシャから“バイシャ・ポンバリーナ”と呼ばれている。
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e0116578_16335385.jpgリスボンの南西200kmの海底を震源とする地震は、M8.5~9という巨大地震で、15m級の津波がバイシャ地区を飲みこみ、丘上の市街地は火災で焼き尽くされ、リスボンの建物の85%が破壊されたという。
当時の国王ドン・ジョゼ1世の全幅の信頼を得たポンバルは直ちにリスボン再建を構想し、瓦礫の一掃、各地区の区画割、測量、登記、仮設住宅の建設(約9000戸の木造仮設)等を進めると同時に、リスボンの中心であるバイシャ地区周辺の再開発に、軍事技術者で建築家のエウジェニオ・ドス・サントス(1711~1746)の案を採用。古くからバイシャの南と北にあった二つの広場(王宮広場とロシオ広場)を格子状の街路で結んだサントスの案は、ほぼ現在のバイシャ地区を構成している。
上の写真は、丘上のバイロ・アルト地区にあるアルカンタラ展望台から眺めたバイシャ越しのサン・ジョルジェ城。
左の写真は、南のコメルシオ広場と北のロシオ広場間に展開するバイシャ・ポンバリーナの衛星写真(Google Earth)。ロシオ広場に隣接する正方形の広場は20世紀中頃に造られたフィゲイラ広場。




コメルシオ広場
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e0116578_16421883.jpgバイシャ・ポンバリーナの南の起点であるコルメシオ広場(商業広場)は、大震災で崩壊したリベイラ宮があった嘗ての王宮広場。
植民地帝国の首都であり、国際貿易都市リスボンの顔ともいえる表玄関である。南をテージョ川に開き、東・西・北の3面をアーケード付きの建物(政府関係の庁舎と貿易関係施設)で囲み、北面中央にはアウグスタ通りに抜ける凱旋門が設けられ、東西の建物の端には、再建されなかったリベイラ宮を偲ばせる塔状の建物が付く。
南北177m東西192mという広大な広場は、エウジェニオ・ドス・サントスの計画通りに実現した。

写真上は広場中央のジョゼ1世騎馬像と北側のアーケードを見る。

写真左は19世紀に完成した凱旋門(勝利の門)を通して、ロシオ広場に直結するアウグスタ通りを望む。ちなみに写真下はアウグスタ通りの昼と夜。
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ロシオ広場
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かつてのロシオ広場は、当時最大の公立病院であったトドス・オス・サントス病院(1504)やドミニコ派修道院、それに異端審問のための宗教裁判所が置かれたエスタウス宮殿(1450)などに囲まれ、社会的にも重要な役割を担った場所。地震でほとんどの建物は崩壊するが、バイシャの再建と同時に、世界で初めて耐震性を重要視した“ポンバル様式”と呼ばれる建築で建てなおされる。しかし長大なサントス病院は再建されず、唯一倒壊を免れた宮殿も1836年の大火で崩壊、跡地にはマリア2世国立劇場(1846)が建てられた。また広場の北西にロシオ駅(1887)が完成し、当時のリスボンに於ける交通の要衝となり、広場の性格もより庶民的なものに変化する。写真上は初代ブラジル王となったドン・ペドロ4世の像が聳えるロシオ広場。パラディアン様式のポルティコが特徴的なマリア2世国立劇場を奥に見る。オーダーとペディメントは、地震で崩壊したかつての修道院からの再利用だそうである。

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写真左は広場の東側を囲むポンバル様式の建築と背後のサン・ジョルジェ城。






写真下はロシオ駅。マヌエル様式(大航海時代の繁栄を象徴するポルトガル独特の建築・芸術様式)を再現したネオ・マヌエル様式のファサードは、蹄鉄をかたどった二つの入口が特徴的。


さらに下の写真は、ロシオ広場隣のフィゲイラ広場。崩壊したサントス病院の跡地は、しばらくは青空市場であったが、20世紀の中頃に広場として整備された。幅の狭い縦長の窓を規則的に配し、屋根上まで突き出た“うだつ“状の防火壁は、耐震と防火を重要視した典型的なポンバル様式の建築。
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toshinacHP
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by toshinac | 2014-03-09 17:04 | trip photos