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プエブロ / ニューメキシコ

アメリカ合衆国南西部には先住民であるインディアンの保留地が多く分布する。なかでも、古くから集住して農耕を主としてきた民族“プエブロ”(16世紀この地に入ってきたスペイン人が、そこに集住するインディアンを総称したスペイン語で、集落や町を意味する。)は、現在ニューメキシコ州に19の部族が政府によって公認され、相伝の領土を保留地として領有しているという。その中のいくつかのプエブロには、伝統的なアドベ(日干しレンガ)造りで段状の集合住居を形成し、古くからの暮らし守りながらのコミュニティを見ることができる。州の最北に位置する世界遺産のタオス・プエブロはその代表例で、ニューメキシコ州の観光名所の一つになっている。
また、現在のプエブロ集落に加えて、この地域には、プエブロの建築文化を築くに至ったアナサジ(有史以前の起源を持ち、現在のプエブロ人の祖先とも言われている)の居住地跡などの史跡も多く点在する。
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e0116578_1361619.jpg古代からの建築文化を重んずる姿勢は、州都サンタフェの歴史地区における建物の新築・改築時には、プエブロのアドベ様式や、スペイン植民地時代の様式を踏襲するという条例(1958)を定めるに至った。結果サンタフェは、アメリカの他の都市には見られない独特な景観を見せる街になっている。
上の写真は、1610年完成の旧スペイン総督の邸宅。現在は州立の歴史博物館。







左の写真は、1917年にプエブロ・リバイバル様式で建てられたニューメキシコ・アート・ミュージアム。設計はニューヨーク生まれの建築家アイザック・ラップ(1854~1933)。下記のアコマ・プエブロに建つ、サン・エステバン・デル・レイ教会などがデザインのベースとなっているらしい。



ラグーナ・プエブロ

ラグーナ・プエブロは、ニューメキシコ州最大の都市アルバカーキの中心部から、インターステート(州間高速道路)40号線(旧ルート66)で西に約75kmに位置している。保留地内にある湖(スペイン語でラグーナ)からその名が付けられたラグーナは6つの村で構成され、その中心がラグーナ村である。緩やかな傾斜地に展開するラグーナ村は、プエブロ特有の集合住居形式ではなく、アドベ造りにトタン屋根を乗せた家屋が、集落の一番上に建つ白亜の聖ヨセフ教会周りに点在する小さな村で、特にめずらしい建築や史跡があるわけではないが、ラグーナの自然や多くの住民が放射能に汚染するという、悲しい歴史を背負った場所として広く知られている。

e0116578_13495188.jpg第2次世界大戦後の冷戦期、アメリカにとっては最も必要であったウランの鉱脈が、6つの村の一つパグワテ村付近にあることが分かり、1950年代から大規模に、しかも露天掘りで採掘されたのである。当初は鉱山での仕事で潤ったラグーナも、やがて冷戦の終結や新たな鉱山の開発などの理由から閉山となり、ウラニウムの危険を知らされていなかった労働者の多くが後年癌を発症し、現在もたくさんの人が癌との戦いを続けているうえ、汚染された土地の農業や牧畜での使用は不可能だそうである。





左の写真上は、アルバカーキからラグーナに向かうインターステート40号線。
下は40号線から望むラグーナ村。


下の写真は、ラグーナ村の人々の心の支えでもある聖ヨゼフ教会の全景。1700年頃の建立で、修道士の監督のもとラグーナの人々が建設に従事、日干しレンガや地元の石や木を使用して完成させている。その下の写真左は教会正面。青空に映える白い教会はギリシャの教会と見紛うばかり。右は内部。ラグーナの伝統的なアートや初期のスペイン絵画が堂内を飾る。
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アコマ・プエブロ(Sky city)

アコマ・プエブロは、ラグーナから40号線で西に10km、一般道で南西に約20kmのところにある。メサ(浸食によって形成されたテーブル状の台地)と呼ばれる砂岩の断崖上に築かれたアドベ造りの集合住居集落で、別名“スカイシティ”と呼ばれている。

e0116578_140913.jpg900年頃からここに住みついた人々は、長きに亘ってメサの下に作った畑での農耕と、他部族との交易や時々の狩りという穏やかな日常を送ってきた。
しかし1599年の俗にいう“アコマの戦い”(1598年のスペイン人調査隊による備蓄食糧の徴収に抵抗したアコマの人々は彼らを殺害、翌年報復を受け犠牲者は800人、生存者は奴隷または厳しい処罰を受け、村は廃墟と化した。)ではスペイン人に抵抗する要塞となった。
今の村はスペイン征服後の廃墟の上に順次再建されてきたものだが、不便なメサ・トップに留まるのは数家族、多くは近隣の村々に住み、伝統的な祭りのときに集まってくる。
近年、集落の南に建つサン・エステバン・デル・レイ教会(1641)共々、アメリカ国定歴史建造物の指定や史跡としての認定を受けて以降、観光が部族の大きな収入源となり、それに伴い定住する家族もかなり増えてきたという。

写真左は、大平原の中のメサ・トップに展開するアコマ・プエブロを遥に望む。
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上の写真はサン・エステバン・デル・レイ教会。1629年に着工され1641年に完成を見る。礎石となる石や膨大な量のアドベの土、それに柱や梁に使用する巨木を、50kmほど離れた山麓から運び、人の手と足で100mを超す断崖上に運び込み、10年を超す建設労働は過酷を極めたに違いない。
下の写真は石やアドベで造られている様子が分かるセットバック3階建の住居。さらに下の写真は集落内の点景。現在も電気や水道は無く、窪地の雨水を利用しながらの生活である。
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下の写真は3階建ての集合住居の北側に見る控え壁(左)。現在では広場に通じる道がつくられ、車も上がってくることができるが、かつては唯一メサ・トップに通じた階段状の道(右)。
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チャコ・キャニオンのプエブロ・ボニート
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e0116578_14325780.jpgニューメキシコ州の北西部に位置するチャコ・キャニオンは、9~12世紀にかけてプエブロ文化が最も栄えた地域で、チャコ文化国立歴史公園となっており、チャコ文化として世界遺産にもなっている。涸れた渓谷内に数多く点在するプエブロの祖先と言われる先住民(アナサジ)の集落跡は、複数のキヴァ(大地の精霊を祀る儀式用の空間。地下か半地下で、古くは矩形の形態もあるが円形が多い。)を核として構成された集合住居形式の集落がほとんどで、精霊崇拝を中心とした独特の文明が繁栄したことを物語る。なかでも渓谷の中央部に位置するプエブロ・ボニート(美しい村)は最大の遺跡で、直径150mのD型平面をした集合住居は、高さ10mの石積み段状テラスが広場を囲む砦となっている。
上の写真はプエブロ・ボニートに続く道。ラグーナから40号線を西に100km、ソロのインターを下りて371号線を北に46km、クラウンポイントの先でチャコ・キャニオン・ロードに入って60kmの渓谷にある。左の写真は70mの崖を背にした住居跡。下の写真は崖の上から俯瞰したプエブロ・ボニート。D型をした平面形やキヴァの配置がよく分かる。
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上の写真は住居跡内部。弧を描く外周は4階建て、一部5階を数える場所もあり、800室近い部屋数で1200人収容のコミュニティであったらしいが、近年の研究では、異常に多いキヴァの数から、ここは儀式中心の場で、住民はそれほど多くなく、部屋は儀式に参加する人のため客室が多いといった説もある。
何れにしても、かつて繁栄を極めたプエブロ・ボニートは、長年の森林伐採と、50年に亘る大旱魃で農耕も難しくなり、12世紀に見捨てられて廃墟となる。


バンデリア遺跡

遺跡のあるバンデリア国定公園は、サンタフェの北西を流れるリオ・グランデの支流であるフリホレス渓谷にあり、サンタフェから山間の道を車で1時間30分程の距離。近くには第2次大戦中ひそかに原爆開発が行われたロス・アラモス研究所がある。

e0116578_14423287.jpgフリホレス渓谷には、1万年前にはすでに人の往来はあったが、プエブロの祖先といわれるアナサジの人々が定住したのは12世紀半ばからで、以来400年ほどの間に築かれたとされる住居跡や集落跡が、渓谷沿いに数キロに亘って展開する。
フリホレスの水を利用して、断崖上の畑でトウモロコシや豆類などを収穫し、最大時は500人を超える人が住んでいたという。しかし長い旱魃や人口増加による資源の枯渇などで集落の維持は難しくなり、住民は16世紀中頃にリオ・グランデ近くの他のプエブロに移動したとされている。




左の写真は、渓谷の中程にあるチュオニィ(Tyuonyi)プエブロ遺跡。広場に設けられたキヴァを取り囲む1~3階建ての集合住居跡。
屋根を支えていた朽ちた木片の年輪年代測定から、14世紀末から15世紀中頃は、建築行為が行われていたとされている。
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上の写真は、切り立つ崖の足元に続く住居跡と、崖に穿たれた住居とその内部。
生活感が残る煤けた部屋は意外と広く、強い陽射しの反射で明るく湿気もなく、居心地は悪くない。
下の写真は崖のアルコーブに設けられたキヴァ。訪れた時期は夏であったが、標高が1000mを超えていることもあり涼しく、緑豊かな渓谷には穏やかな時が流れていた。
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by toshinac | 2014-12-08 14:50 | trip photos