works & trip photos     (c)Toshiaki Nakazawa all right reserved.


by toshinac

プロフィールを見る
画像一覧

カテゴリ

全体
trip photos
works
未分類

検索

最新の記事

ブータン王国/プナカ
at 2017-07-19 09:42
ブータン王国/ティンプー(2)
at 2017-07-01 16:43
ブータン王国/ティンプー(1)
at 2017-06-17 08:08
ブータン王国/パロ(3)
at 2017-06-06 09:27
ブータン王国/パロ(2)
at 2017-05-30 17:28

以前の記事

2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月

記事ランキング

画像一覧

イストラ半島の港町

イストラ半島(イタリア語ではイストリア)はアドリア海の一番奥に位置し、イタリア、スロベニア、クロアチアに跨る三角形の半島である。紀元前2世紀頃のローマ帝国にはじまり、諸民族の支配下に置かれたこの地域に、現在のスロベニア人やクロアチア人達と同じ南スラブ系の民族が定住したのは6~7世紀頃とされている。やがてカール大帝のフランク王国やヴェネツィア共和国、さらにオーストリア帝国の支配という重なる変遷は、複数民族の混住が進むこととなり、後々の民族間対立の素因になっていく。第1次大戦後半島全域がイタリアに併合されるが、第2次大戦後、西側にとって重要な港であったトリエステを除いた部分がユーゴスラビア領となり、1991年よりスロベニア領とクロアチア領になる。

プーラ
e0116578_164716100.jpg

e0116578_16504829.jpgイストラ半島の先端に位置するプーラは、陸路でザダルから325km、イタリアのトリエステからは100km程にあるクロアチのイストラ郡最大の都市。破壊と統治の繰り返しを受けてきた歴史の積み重ねが反映された旧市街には、古代ローマ遺跡が保存され、中世やルネッサンス期の建築が軒を連ねる。
上の写真は、紀元1世紀に建てられた円形闘技場プーラ・アレーナ。夏には映画祭やコンサート会場として利用されている。
左の写真はプーラ・アレーナの衛星写真。本来ならば持参した凧カメラでの俯瞰写真をUPしたいところだが、撮影叶わずGoogle Earthを使用させて頂いた。





下の写真は楕円の外壁がほぼ完全な形で残るアレーナ外観。
e0116578_16542040.jpg

e0116578_16552722.jpg左の写真はセルギイ家のアーチ。都市を守る市壁に設けられた10の門の一つで、ローマ帝国の都市建設に貢献した、地元のセルギイ家を記念して紀元1世紀ごろ建てられた凱旋門。





下の写真は、フォーラムと呼ばれるローマ時代の広場に建つアウグストゥス神殿と市庁舎(公民館)。女神ローマとローマ皇帝アウグストゥス(在位B.C.27~A.D.14)に捧げられた神殿は、少なくとも皇帝の在位中には建設されたらしい。1944年連合軍の空爆で破壊されたが、1947年に再建された。隣に建つ市庁舎は、かつてディアナ神殿があった場所に、1296年に建てられたゴシック様式の市役所が始まりで、その後多くの再構成が繰り返され、15世紀末にルネッサンス様式、17世紀にはバロック様式に、現在の姿は1988年に再構成されたものだそうである。
e0116578_16571977.jpg

ポレッチ
クロアチアのイストラ群に属する小都市ポレッチは、プーラから車で50kmほどに位置している。紀元前2世紀にはローマの軍事拠点が設けられ、アウグストゥス帝の時代にはローマ帝国の植民都市となり、以後イストラ半島における他の沿岸小都市と同様の歴史を辿っていく。下の写真はポレッチ歴史地区。中央奥にポレッチのシンボルであるエウフラシウス聖堂の鐘楼(16世紀)を望む。
e0116578_1701732.jpg

e0116578_171119.jpg左の写真は、列柱回廊に囲まれたエウフラシウス聖堂の中庭。





下の写真左は聖堂内部。3つのアプス(後陣)を持つ3廊のバシリカ式聖堂で6世紀中頃の創建。後陣上部を飾るキリストを抱いた聖母マリアのモザイク画は、初期のビザンチン美術としての評価が高い。1997年“エウフラシウス聖堂建築群”として世界遺産に登録されている。
下の写真右は13世紀に建築されたとされる“ロマネスク様式の家”。一階は納屋、2階に暖炉を持つ大部屋があり、2部屋ある3階には内部階段で通じる造りの家だが、ゴシック様式の窓などからも分かるように数度の増改築を重ねたもの。
修復は施されているだろうが、特徴的な木製バルコニーは18世紀頃に設けられたものと言われている。
e0116578_17121182.jpg

ピラン
e0116578_17152315.jpg
イストラ半島のスロベニア領にある港町ピラン(ピラーノ:イタリア語)は、クロアチアのポレッチから車で45kmほどにあるスロベニアの観光地。紀元前からローマの版図にはあったが、都市化の始まりは、7世紀に入って東ローマ帝国の支配が進んでからのことらしい。今に見る中世の街並みは、ヴェネツィア共和国による500年を超える統治の長さを物語っている。
上の写真はピランの中心タルティーニ広場を、聖ユーリ教会の建つ丘の上から眺める。現在広場は整備され、車の乗り入れはできないようである。
下の写真はタルティーニ広場から眺めた聖ユーリ教会。創建は12世紀と考えられているが、現在の教会は1334年ルネッサンス様式で建てられた後、1637年にバロック様式に改築されている。ヴェネツィアのサンマルコ寺院のものと似た鐘楼は1606年の完成とされている。
e0116578_1718151.jpg

e0116578_17191797.jpg
上の写真は聖ユーリ教会内部。華やかに装飾された堂内も、訪れた時期(1988年)は壁や天井の汚れが長い歴史を滲ませていたが、現在は修復され華やかで明るい雰囲気になっているらしい。

コペル
e0116578_17225452.jpg

e0116578_17234411.jpgピランから15km ほど北に位置するイタリア国境に近い港町コペルは、スロベニア唯一の商業港で、コンテナの集積場などに囲まれた旧市街は、空から見ると取り残された古代都市を彷彿させる。オーストリア帝国領(1797年)となったとき、トリエステ(現イタリア)の一部となり、第2次大戦後の1945年ユーゴスラビア連邦人民共和国となるまでの間は、イタリア人が最も多く住んでいたというイタリア色の強い町コペルは、現在も公用語はスロベニア語とイタリア語だそうである。

上の写真は築堤で本土と結ばれた島に築かれた都市コペルを俯瞰(Google Earth)。


左の写真は街の中心チトー広場に建つ鐘楼と大聖堂。53mの鐘楼は13世紀に建設されたもので、当初は海の監視塔としての役目が主だったようである。15世紀に建設された大聖堂に接続され鐘楼の機能を獲得する。




トリエステ
イストラ半島北の付け根部分にあるトリエステ湾の奥に位置するトリエステは、北・東・南の三方がスロベニア国境に接するというイタリア北東部の港湾都市。
ケルト人による建設が始まりとされ、紀元前2世紀にはローマの植民地となりテルゲステと呼ばれたという。その後東ローマ帝国やフランク王国などの支配下に置かれ、ヴェネツィア共和国による一時期の支配を経て、1382年よりハプスブルク家の領地となり、オーストリア帝国の港湾都市として発展。第2次大戦後のユーゴスラビアとの帰属をめぐる紛争が生じ、国際連合の管理下に置かれるが、1954年のロンドン覚書により分割され、現在のトリエステはイタリア領となる。

e0116578_17294923.jpg左の写真上は、1756年に完成した大運河の先に、1849年に建てられた聖アンソニー教会(サンタンヌオーヴォ教会)を見る。新古典主義様式の教会は、スイス人建築家ピーター・ノーブル(ピエトロ・ノビレ:1776~1854)の設計。左の写真下はトリエステの中心イタリア統一広場。手前を海に開き、3方を重要建築群が取り囲む広場は、世紀を超えて改修を重ねてきたが、現在の姿は2005年に終了した全面改修時のもので、広場の床もアスファルトから伝統的な敷石に戻されている(写真はアスファルト舗装時のもの)。正面は1875年の建築?とされる市庁舎。設計はトリエステの建築家ジュゼッペ・ブルーニ(1822~1877)。
下の写真は2世紀始め頃のトラヤヌス帝時代のローマ劇場。聖アンソニー教会の設計者であるピーター・ノーブルが、旧市街の住居下に眠る遺跡を確定(1814年)していたが、実際に発掘されたのは1938年の市街地開発の時だそうである。
e0116578_17321653.jpg
(写真は全て旧ユーゴ時代の1988年に撮影したものである)

toshinacHP
[PR]
by toshinac | 2015-03-21 17:34 | trip photos