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大運河沿いのパラディオの教会堂/ヴェネツィア
ヴェネツィア本島の南にある幅400m近いサン・マルコ運河とジュデッカ運河(運河というより海峡といった感じ)の対岸の島、サン・ジョルジョ・マジョーレ島とジュデッカ島に、ルネッサンスの大建築家アンドレア・パラディオ(1508~1580)晩年の作である教会が3堂?ある。何れも正面を運河に面して建てられており、その威風は運河を挟んだ本島からも望むことができ、建築家の名声もあってか多くの観光客が足を運ぶ。 1789年の9月から10月にかけて、ヴェネツィアに滞在した“文豪ゲーテ”は、パラディオ著の「建築四書」の序文にある「古代建造物の復元図は、単なる古代研究のためというより、むしろ寺院建築のための参考資料であり、範例のないデティール集である。・・・それらの知識を適材適所に用いれば、・・・芸術の法則に反することなく応用が実現したとき、それは称賛に値し、いかに快適なことかを示すだろう。・・・」を確認するべく現実のパラディオ建築を巡り、その印象や評価を、後に自著イタリア紀行で記している。
上の写真はサン・マルコ寺院の鐘楼から眺めたサン・ジョルジョ・マッジョーレ島。ヴェネツィア滞在中のゲーテも、サン・マルコの鐘楼に2度昇り、サン・ジョルジョ・マッジョーレ島とその先のリド島(ヴェネツィアの潟とアドリア海を隔てる全長12kmの細長い島)を眺め、また実際に船を出し、リド島における防潮堤工事を視察し、干満の差が島々に及ぼす作用やヴェネツィアの行く末を論じている。
サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会
ジュデッカ運河がサン・マルコ運河と交わるところにあるサン・ジョルジョ・マッジョーレ島は、ヴェネツィア共和国時代にベネディクト会に与えられた島であったこともあり、現在でも島全体が教会とその関連施設がほとんどである。現在のサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会は1566年に着工されるが、パラディオの死後は、高弟スカモッツィが引き継ぎ、1610年に完成させている。大小二重のオーダーと二重のペデメィント(三角破風)が際立つ白亜の神殿風ファサードは、伝統的なバシリカ式教会堂の正面に、ローマ神殿風の正面を矛盾なく取り付けるというパラディオ流の応用と、中央の高い身廊部分と、横に広がる側廊部分の内部空間を、二つの立面を重ねることで内外の空間的一致を図ったとされている。
上の写真は水際に建つ姿が美しいサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会。ただ教会前の船着き場から眺める正面はあまりにも近すぎて、美しさではなく威圧感が勝ってしまう。中央4本の大オーダーが巨大なペデスタル(柱礎)の上にのる違和感と、両端の小さなオーダーが支えるペデメィントのコーニス(蛇腹)が、大オーダーの柱間を貫くという不自然さを指摘する建築史学者もいる。建築や芸術に鋭い眼力を持つゲーテもまた、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会堂の美しさを認めてはいるが、何かがおろそかにされていると感じたことを述べている。
左の写真は教会の身廊空間。柱の近くによると、ここでもペデスタルの高さが気になるところで、椅子にかけたときの目線より上から建ち上がる柱に不自然さを感じてしまう。
下の写真は教会に隣接した元修道院の中庭。現在は島の復興と修復および文化的事業を目的として設立されたジョルジョ・チーニ財団本部が置かれ、図書館や文書館や美術館などが充実、一部は一般にも開放されている。ちなみに1987年のG7(先進国首脳会議)の会場となっている。
イル・レデントーレ教会
東西に長いジュデッカ島の中程に建つレデントーレ教会は、ヴェネツィアに猛威を振るったペストの終焉を神に感謝し、市民の救済を祈願する共和国の誓願教会として1577年着工し1592年(1599年という説もある)には完成している。国営工事ということもあるが、この種の建築工事期間としては異例なほど短い工期での完成である。数年とはいえパラディオ自身が工事を監督する期間もあったとされるこの教会堂は、彼の教会堂建築の理想を最もよく示す作品と言われている。
上と左の写真はサン・マルコ側から近づく過程で見る教会堂。正面近くからは見えない身廊奥のドーム屋根が見え隠れする。
下の写真は船着き場正面から見るイル・レデントーレ教会堂。大小二重のペデメィントが重なる神殿風正面はサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会堂と同じだが、あの威圧感のある巨大なペデスタルを廃し、建物全体を基壇に載せて前面に階段を設け、より古代神殿の外観に近づけている。
また正面のペデメィントが身廊の高さにあるサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会と違い、4本の大オーダーが支える正面ペデメィントの位置が、身廊の高さより低く抑えられている。そのことで生じた身廊からの葺き下し屋根の難しい取合いを、古代建築パンテオンのペデメィント奥に付く屋階部分に類似した、コーニスの付いた長方形の屋階風の壁(アッティカ?)を設けて処理している。
“イル・レデントーレ教会は、パラディオの建てた美しく偉大な建築であり、その正面はサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会より遥かに賞讃すべきものである”・・・ゲーテ評である。
ジテッレ教会(サンタ・マリア・デッラ・プレゼンタツィオーネ)
ジュデッカ島の東の端に位置し、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会とイル・レデントーレ教会の間に建っているジテッレ教会は、貧しい女性を収容するための救貧院の教会堂として、パラディオの設計をもとに、ヤコポ・ボッツェット(Jacopo Bozzetto:1521~1583)という建築家が1586年に完成したという説もある。しかしパラディオが関わったという確証はなく、建設時期もあいまいで学術的な裏付もいまは無く、残念ながらゲーテのイタリア紀行にも記述はない。下の写真はゴンドラの向こうに望むジテッレ教会堂。
toshinacHP
上の写真はサン・マルコ寺院の鐘楼から眺めたサン・ジョルジョ・マッジョーレ島。ヴェネツィア滞在中のゲーテも、サン・マルコの鐘楼に2度昇り、サン・ジョルジョ・マッジョーレ島とその先のリド島(ヴェネツィアの潟とアドリア海を隔てる全長12kmの細長い島)を眺め、また実際に船を出し、リド島における防潮堤工事を視察し、干満の差が島々に及ぼす作用やヴェネツィアの行く末を論じている。
サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会
ジュデッカ運河がサン・マルコ運河と交わるところにあるサン・ジョルジョ・マッジョーレ島は、ヴェネツィア共和国時代にベネディクト会に与えられた島であったこともあり、現在でも島全体が教会とその関連施設がほとんどである。現在のサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会は1566年に着工されるが、パラディオの死後は、高弟スカモッツィが引き継ぎ、1610年に完成させている。大小二重のオーダーと二重のペデメィント(三角破風)が際立つ白亜の神殿風ファサードは、伝統的なバシリカ式教会堂の正面に、ローマ神殿風の正面を矛盾なく取り付けるというパラディオ流の応用と、中央の高い身廊部分と、横に広がる側廊部分の内部空間を、二つの立面を重ねることで内外の空間的一致を図ったとされている。
上の写真は水際に建つ姿が美しいサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会。ただ教会前の船着き場から眺める正面はあまりにも近すぎて、美しさではなく威圧感が勝ってしまう。中央4本の大オーダーが巨大なペデスタル(柱礎)の上にのる違和感と、両端の小さなオーダーが支えるペデメィントのコーニス(蛇腹)が、大オーダーの柱間を貫くという不自然さを指摘する建築史学者もいる。建築や芸術に鋭い眼力を持つゲーテもまた、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会堂の美しさを認めてはいるが、何かがおろそかにされていると感じたことを述べている。
左の写真は教会の身廊空間。柱の近くによると、ここでもペデスタルの高さが気になるところで、椅子にかけたときの目線より上から建ち上がる柱に不自然さを感じてしまう。
下の写真は教会に隣接した元修道院の中庭。現在は島の復興と修復および文化的事業を目的として設立されたジョルジョ・チーニ財団本部が置かれ、図書館や文書館や美術館などが充実、一部は一般にも開放されている。ちなみに1987年のG7(先進国首脳会議)の会場となっている。
イル・レデントーレ教会
東西に長いジュデッカ島の中程に建つレデントーレ教会は、ヴェネツィアに猛威を振るったペストの終焉を神に感謝し、市民の救済を祈願する共和国の誓願教会として1577年着工し1592年(1599年という説もある)には完成している。国営工事ということもあるが、この種の建築工事期間としては異例なほど短い工期での完成である。数年とはいえパラディオ自身が工事を監督する期間もあったとされるこの教会堂は、彼の教会堂建築の理想を最もよく示す作品と言われている。
上と左の写真はサン・マルコ側から近づく過程で見る教会堂。正面近くからは見えない身廊奥のドーム屋根が見え隠れする。
下の写真は船着き場正面から見るイル・レデントーレ教会堂。大小二重のペデメィントが重なる神殿風正面はサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会堂と同じだが、あの威圧感のある巨大なペデスタルを廃し、建物全体を基壇に載せて前面に階段を設け、より古代神殿の外観に近づけている。
また正面のペデメィントが身廊の高さにあるサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会と違い、4本の大オーダーが支える正面ペデメィントの位置が、身廊の高さより低く抑えられている。そのことで生じた身廊からの葺き下し屋根の難しい取合いを、古代建築パンテオンのペデメィント奥に付く屋階部分に類似した、コーニスの付いた長方形の屋階風の壁(アッティカ?)を設けて処理している。
“イル・レデントーレ教会は、パラディオの建てた美しく偉大な建築であり、その正面はサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会より遥かに賞讃すべきものである”・・・ゲーテ評である。
ジテッレ教会(サンタ・マリア・デッラ・プレゼンタツィオーネ)
ジュデッカ島の東の端に位置し、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会とイル・レデントーレ教会の間に建っているジテッレ教会は、貧しい女性を収容するための救貧院の教会堂として、パラディオの設計をもとに、ヤコポ・ボッツェット(Jacopo Bozzetto:1521~1583)という建築家が1586年に完成したという説もある。しかしパラディオが関わったという確証はなく、建設時期もあいまいで学術的な裏付もいまは無く、残念ながらゲーテのイタリア紀行にも記述はない。下の写真はゴンドラの向こうに望むジテッレ教会堂。
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by toshinac
| 2015-04-20 16:39
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