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イスファハーン(3)/四半世紀前のイラン

アバシ(アッバースィー)ホテル
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ホテルのもとの姿は、サファヴィー朝最後の王、シャー・スルタン・フサイン(在位1694~1722)が母のために建てたとされるモスク兼用のマドラサ(神学校)に、キャラバンサライやバザールが併設された複合施設マーダル・イ・シャー(1706~1714)で、チャハルバーグ(四分庭園)の中庭が美しく、サファヴィー朝の最後を飾る建築の一つとされている。ホテルはかつてのキャラバンサライを改修増築したもので、現在ではイスファハーンの最高級ホテルの一つになっているらしい。
上の写真は中庭からの眺め。下はマーダル・イ・シャーの平面図(日本建築学会編:東洋建築史図集より)。
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ハージュ橋
イスファハーンの街中を流れるザーヤンデ川に架かる石と煉瓦の2層構造のアーチ橋で、15世紀後半に基盤を持つ古い橋の遺構の上に、シャー・アッパース2世によって、1650年~1655年頃構築されたものとされている。全長132mのハージュ橋の上部は人道橋で、両側が壁で仕切られたバルコニー状の回廊になっており、アーチが連続する外観はマドラサやキャラバンサライを想わせる。下部は橋脚の間に21の流水路が設けられ、そこに堰板を嵌め込んで上流側の水位を調整し、灌漑や首都の水路網に水を供給するためのダムの役目も果たしている。ハージュ橋は、人が渡る機能に憩いの場を取り入れた治水建造物である。 
下の写真は、橋の上流側(上)と下流側(下)。橋の両端と中央には、かつて王侯貴族の憩いの場でもあったという望楼が付く。
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吉田正春の「回探検疆ペルシャの旅」では、楼閣ある長橋としての記述がある。「橋の長さは百間乃至百四・五十間もあらん。その構造は磚石にて畳み揚げ、円形に勾配をつけ、幅の広さは十二・三間もあらん、中には一条の通路なれど、その左右は廻廊を置き、半月形の窓牖(そうゆう)を設け、その外辺には彫欄を繞らし、これを飾れる瓦は青磁の如きまた金襴焼きの如き種々の彩色を染め出し、所々の金色の剥げ残りたるなど、昔を忍ぶ潤沢は画も及ばじと思うばかりなり。」と、その壮麗さを記しているが、一方で、「然れども年経しままに修理も加えねば、所々に欠陥の傷多く、塵埃に埋まり、心なき人は羊を駈り驢を馳せその上を踏みならす有様、そぞろに旅客をして空しく懐古の念を逞しゅうせしむ。」と、荒れた状態を憂えている。1873年に橋の修理が行われたらしいが、吉田正春が訪れた年は1880年、僅か7年で荒れてしまうような時世だったということか。
下の写真左上は、馬や荷車用と歩道が分離された中央部分で、両側の壁の向こうが回廊になっている。
左下は回廊部分。下の写真右は流水路に設けられたテラス。人々が思い思いの時を過ごすことができる場所となっている。
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ヴァーンク教会
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e0116578_14211415.jpgザーヤンデ川の南にあるジョルファ地区は、シャー・アッパース1世が新首都の発展をめざして優れたアルメニア人の職人や商人を北方から移住させた地域で、宗教の自由とアルメニア人コミュニティが現在でも認められている特別な地区。
地区内には13のアルメニア正教会があり、ヴァーンク教会はその中の一つで1605年に創建されているが、現在の教会は1655年に再建されたものだそうである。

上の写真は、ドームや壁のアーチなどペルシャの伝統様式との融合を図っているが、ドームの頂には十字架が付き、聖堂内部(左の写真)には聖書に登場する場面の描写など具象的な表現も多く見られる。









路地
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e0116578_14262535.jpgイマーム・モスクの裏にあたる市街地で、ダラン・タリックと呼ばれる地区を訪れた。
ダランは「通り」で、タリックは「暗い」を意味するそうである。中庭を持つ住居の外壁と外壁の間が通りになっていることが一般的で、雰囲気は路地に近く、各住居への長いアプローチとも考えられる。
通りには、そのつくられ方によってそれぞれ呼び名があり、覆われた狭い通路をダラン、覆われた広い通路をゴザール、上がオープンの通路をクーチェと呼ぶそうである。

上の写真はダランと呼ばれる路地。
左側上の写真は路地(クーチェ?)で憩う老人と周りに集まった子供達。
左側下の写真は路地に面した小さなお店の婦人と子供。

下の写真はモスク裏の路地。クーチェと呼ぶのかは確かめていない。
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by toshinac | 2016-04-13 14:31 | trip photos