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マルヴァスト/四半世紀前のイラン

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ヤズドからシーラーズに向かう途中で道に迷い、はからずも巡り合った村マルヴァストは、オアシス都市ヤズドから165kmほど南の沙漠の中にあるヤズド州の一農村。集落中央の小高い台地に、高さ4~5mの厚い土壁を、方100m程にめぐらした砦のような廃虚があり、その周囲にドームやヴォールト屋根の土の家屋が密集する。古くから地主(マーレキ)と小作人(ライーヤト)制のもとにあったイランでは、都市に住む地主(主に領主や豪商)が資本を投じて沙漠にカナート等の灌漑施設を設け、ガルエと呼ばれる村郭を築き、小作人を住まわせて農耕に従事させるという植民地的な村が広く分布した。特にイラン高原にはこの形態の村が数多く点在するという。
上の写真は、かつてのガルエを中心にスプロールしていく集落を、ガルエの周壁に設けられた銃眼から撮ったもの。下の写真は、ガルエ近くに多く見る土壁が傷んだ家屋。
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前出の吉田正春の「回疆探検・波斯之旅」には、マルヴァストの東100kmほどにあるデェビットという村付近の様子が次のように記述されている。「遊牧人民は処々に群居せり。多きは千余人、少なきは三、四百人、天幕を以て方形に市街状を作れり。・・・彼らの群居せる近傍には必ず一流の水に沿うて草の繁茂したるあり。その水を汲み尽くし、その草を飼い尽くすまではここに住すといえども、水草尽きればまた水草追うて移る。」・・・

e0116578_91762.jpg吉田正春が訪れた1880年頃のイラン高原には壮大に展開していた遊牧の民も、パフラヴィ朝(1925~1979)の創設期に遊牧民の定住化が推進されると、小作人となって農耕に転じた遊牧集団も少なくなかったようである。マルヴァストの住民がもとからの農民か、遊牧民の子孫か、あるいはその混在かは分からないのだが、いづれにしても都市を結ぶ交易路からは程遠く、灌漑施設が無ければ農耕にも放牧にも適さない場所にあるこの村も、その起源は地主によって造られた人工村ではないかと想われる。もちろん砦のような周壁は、野獣や侵入者から農民を守ったガルエの跡ということになる。
左の写真は、廃墟となっていたガルエの入口。マルヴァストの英語の地図表記にはMarvast castleとある。下の写真は、マルヴァスト中心部の衛星写真(Google Earth)。中央がガルエ(キャッスル)。
整備された道路や、土の家屋の中に銀色に光るアーチ屋根の建物などを見ると、沙漠の中の一農村も確実に近代化に向かっていることが窺える。
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さらに想像を逞しくすると、1962年の農地改革によって地主の搾取から解放された農民は、やがて狭いガルエを放棄して、その周囲に土の住居を造り次々と移り住む。時あたかもシャーの近代化政策による高度成長期、農民の兼業収入が増えると共に、公衆浴場や学校が造られ、モスクが建ち、現在のマルヴァストの骨格が出来上がったのではなかろうか。あくまでも想像である。
下の写真2葉は、ガルエから西に1.3kmほど離れた場所にある地方領主シェィク・アブドラの墓。かなり朽ち果てていたが現在はシェィク・アブドラ公園として整備されているようである。
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by toshinac | 2016-05-09 09:18 | trip photos