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サマルカンド(2) /ウズベキスタン

ビビ・ハーヌム・モスク
中央アジアに最初で最大の帝国を一代で築き上げたティムールは、帝国の首都と定めたサマルカンドに大規模なモスクの建設を企て、インド遠征から帰った1398年(1399年説もある)に着工。
建設には、ティムールが征服したイランやシリア、インドなどから連れてこられた多数の技術者が動員され、老ティムール自身も毎日現場に出向いて工事の指示を出すとともに進行を急がせたという。その結果、当時のイスラム世界では最大規模を誇る美しい建築が異例の速さで1404年には完成したとされている。だがこの建築は落成後間もなく崩落が始まるのだが、ティムールが中国遠征の途上で歿する(1405年)ということもあり、修復や再建工事が行われることなく放置され、その後の地震等でも崩壊が進み荒廃してしまう。
時は流れ、ウズベク・ソビエト社会主義共和国時代の1974年に再建・修復が始まり、主礼拝室と副礼拝室のドームが復元され、その後の独立後も再建・修復が進み、正門のイワーンやミナレットなど外観の一部が完成している。
サマルカンド(2) /ウズベキスタン_e0116578_10264893.jpg
167m×109mという東西に長い広大な敷地に、78m×64mの中庭を囲んで、メッカの方角にあたる西側に主礼拝堂、それに相対する東側に正門。南側と北側の中央には副礼拝堂が設けられ、列柱で支えられた連続する小ドームの回廊がそれらをつないでいた。外周の四隅と主礼拝堂の正面左右と正門左右に、計8本のミナレットが建ち、壮麗な姿を誇っていた巨大モスクは、いつどこまで甦るのだろう。
上の写真は北側中央に建つ副礼堂を中庭側から見る。
サマルカンド(2) /ウズベキスタン_e0116578_1029627.jpg
上の写真は主礼拝堂。中庭側正面から見るとファサードが大きすぎ、サマルカンド・ブルーのドームが写らないため側面から見る。二重殻ドームの外径は18mで、高さはかつて50mほどであったとされているが、建築史書によると40mに達するとある。さだかではないが再建後の数値なのかもしれない。巨大すぎた構造と工事の急ぎ過ぎなどが崩落の原因ではとされるビビ・ハーヌム・モスクには、史実の中に多くの伝説も紛れているようで、その見極めがなかなか難しい建築である。
下の写真は、北側のリブ付きドームを頂く副礼拝堂とモスクの正門を中庭側から見る。
サマルカンド(2) /ウズベキスタン_e0116578_1030236.jpg

グリ・アミール廟
“王の墓”を意味するグリ・アミールは、ティムールとその息子達が眠る霊廟である。もともとこの場所には、ティムールの孫ムハンマド・スルタンが14世紀末に創設したマドラサとハナカ(巡礼者用の宿舎)が建っていた。(マドラサ等の建築は現在失われている) しかしムハンマド・スルタンが1403年に遠征先で戦死したことから、ティムールは直ちにハナカの中庭に接して墓廟の建立を命じ、1404年の秋には完成。外形は八角形だが墓室は正方形で、二重殻のドームがそれを覆っており、特徴的な高いドラム上には青いタイルの華麗なリブ付きドームが地上34mの高さに達している。
孫の死を偲んで建てた墓廟であったが、1405年に中国への遠征先で病死したティムール自身もここに葬られ、以後ティムール一族やその側近達の墓所となり、“グリ・アミール廟”と呼ばれることになる。
サマルカンド(2) /ウズベキスタン_e0116578_10333731.jpg

サマルカンド(2) /ウズベキスタン_e0116578_103431100.jpg上の写真は北東側から眺めたグル・アミール廟。手前にかつてのマドラサ跡と中庭への入口を見る。



左の写真は墓室内部。床に並べられた墓石は、地下室にある墓の位置を示しているのみで実際の墓ではないが、中央に置かれた黒緑色の軟玉石がティムールの墓石で、1425年に孫のウルグ・ベクが遠征先から持ち帰ったともの伝えられている。そしてウルグ・ベクもこの廟の一隅に眠っている。17世紀ティムールの後裔であるムガル朝のアウラングゼーブ王が、中央アジア併合の布石として、グル・アミール廟の拡張工事を行うが未完に終わり、その後崩壊するままに放置されたという。




下の写真は、拡張されるはずであったと想われる西側大ホールの基壇と接続部分の遺構越しに、廟のリブ付きドームを望む。
サマルカンド(2) /ウズベキスタン_e0116578_10403727.jpg

シャーヒ・ズィンダ廟群
“生ける王”と言う意味のシャーヒ・ズィンダの廟群は、古代サマルカンドの遺丘アフラシャブの南端にある。預言者ムハンマドの従兄弟で生きたままこの世を去り、永遠に生きつづけているという伝説を生んだ、クサム・イブン・アッバスの廟(11世紀)に至る坂道の両側に、14世紀から15世紀にかけて造られたティムール一族の墓廟が建ち並び、“死者の通り”と言う呼び名も頷ける独特な景観を見せている。
サマルカンド(2) /ウズベキスタン_e0116578_1049886.jpg

サマルカンド(2) /ウズベキスタン_e0116578_10515855.jpgこの地はモンゴル軍の来襲以前からイスラム教徒の聖地となっており、12世紀にはすでに巡礼のための順序が定められていたと言われているが、12世紀当時のものは建物の一部の基礎部分が残るのみで、廟群のほとんどはウルグ・ベク時代の完成とされている。
上の写真は、溝状の通りを一番奥にあるクサム・イブン・アッバス廟近くの丘上からの眺め。通り奥の左側にティムールの妹を祀った廟とされるシリン・ベク・アガ廟。通りをはさんでアミール・ゾダ廟とシャディ・ムルク・アガ廟(ティムールの姪)とが隣合せで建ち、どちらもリブ付きドームを頂いている。その手前の16角形の立ち上がりを持つ廟は、ティムールの部下の将軍の廟ではとされているが定かではない。何れも14世紀の建造とされている。
左の写真は通りの一番上の門で、手前左側がクサム・イブン・アッバス廟への入口となっている。

下の写真はクサム・イブン・アッバス廟の中にある礼拝の広間。
サマルカンド(2) /ウズベキスタン_e0116578_10563772.jpg

サマルカンド(2) /ウズベキスタン_e0116578_1058420.jpg左の写真は、シリン・ベク・アガ廟とシャディ・ムルク・アガ廟の間から、“天国への階段”を上りきったところにある尖塔アーチの門(18世紀)を見る。
奥に見るウルグ・ベクの天文学の師であるカズィ・ザル・ルミの廟(15世紀)とされる青のドームが印象的。







下の写真は、中央の霊廟群から一番奥の上の門を望む。右手の八角形の廟は15世紀のものとされているが、誰が祀られているのかは不明だそうである。
左側には14世紀頃の墓廟跡がつづき、ティムール軍の将軍の廟ではと言われている16角形の廟が建ち、上の門の左奥に、ティムールの妻トゥマン・アガの廟に付属するモスクの青いドームが見え隠れ。
サマルカンド(2) /ウズベキスタン_e0116578_1151952.jpg

toshinacHP
by toshinac | 2017-10-20 11:07 | trip photos