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ロマンティック街道

ドイツ国内の観光コースの一つとして指定されている観光街道ローマンティシュ・シュトラッセ(Romantische Strasse)は、フランクフルトから120Kmほど東南東に位置するヴュルツブルクから、アルプスの麓の町フュッセンに至るおよそ350kmの道。現在ではいわゆる“ロマンティック街道”として多くの観光客で賑いを見せているが、ほんの数十年前までは、特に日本人観光客はあまり訪れないルートだったそうである。
当時ドイツ政府観光局の局長として着任した日本の方が、「ローマ時代の道」という意味のローマンティシュ・シュトラッセを、ルート沿いに点在する中世の趣を残すロマンティックな町並みと関連づけ、“ロマンティック街道”と名付けたことから、日本の女性誌等でとり上げられ一気に日本人観光客が増えたという。

ヴュルツブルク
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ロマンティック街道の起点となるヴュルツブルクは、中世より司教領として栄え、ルネッサンス期には文化と芸術が開花した美しい古都。毎年6月に開催されるモーツァルト音楽祭が、かつての大司教の宮殿レジデンツで行われることでも有名な町である。写真は大司教の住まいであったマリエンベルグ要塞から眺めたヴュルツベルク旧市街。マイン川に架かるアルテ・マイン橋をはじめ、市庁舎やノイミュンスター教会、レジデンツなどが一望できる。
下の写真は街道を南下する途中で見かけた、館の下を道路が貫通する“おもしろ建築”。車の旅は想定していないシーンに巡りあうことがある。
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ローテンブルク

e0116578_954212.jpgRomantische Strasseのハイライトは、中世の趣を色濃く残す城壁の町ローテンブルク。正式には“ローテンブルク・オプ・デア・タウバー”といい、町の起源は9世紀中頃とされている。15世紀初めには2万人が居住する大都市となり、中世期ドイツの重要な地位を占めていた。しかし30年戦争(カトリックとプロテスタントのキリスト教2派の分裂による、ドイツにおける宗教戦争)による敗戦の憂き目にあいその地位も低下。19世紀初頭にはナポレオンによるヨーロッパの改新で自治権も失い、流通の中心からも外れていった。だが中央から見放されていたことが、返って近代化されずに歴史的な建築や環境が保存されたという。第2次大戦の空襲で町の40%を焼失するも、戦後、市民の再建の努力と全世界から寄付もあり、破損部分はほぼ復元された。
写真左は町の南端にあるシュピタール稜堡。左下はローテンブルクの撮影スポットでもあるプレーンライン(ラテン語で小さな場所)から見たシーバース門(1385年頃の建設)。右下はシーバース門を外側から望む。シュピタールの門が造られる以前は、ここシーバースが市門であった。かつて跳ね橋を収めていた跡が入口壁に残る。


e0116578_1016622.jpge0116578_10103975.jpg




















ディンケルスビュール
なだらかな起伏の牧草地や畑の中を貫く街道の爽快なドライブ。いくつかの丘を越え、やがて尖塔や赤い屋根の連なるディンケルスビュールの町が見えてくる。古くからドイツの東西・南北を結ぶ交易路が交わる所に発展した交易の町。幸いにして第2次大戦の爆撃を受けなかったことで、中世の頃の町並みをそのまま現在に残している。
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写真上は、ディンケルスビュールの景観を特徴づける町を囲む壁“市壁”に取りつく塔。現在の市壁は町の最盛期であった14世紀から15世紀にかけて造られたとされているが、町は19世紀から20世紀にかけて大規模な拡張がなされている。市壁が完全に町を取り巻く形で完成したのはそのときだそうである。ちなみに10世紀頃に巡らされた当初の市壁は、いまの町の中核部分を丸く囲んでいたという。その痕跡は地図上の通りの形で見て取れる。
写真下は中心街であるマルクト通り。15世紀中頃の建築とされるドイチェス・ハウス(中央に建つティンバーフレームの建物)をはじめ、様々な色と形の建物が通りを彩る。
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ネルトリンゲン
町を囲む壁、いわゆる“市壁”が完全な形で残るネルトリンゲンに最初の壁が造られたのは、1215年の帝国自由都市(神聖ローマ帝国のドイツに於ける都市の一形態で、皇帝の直轄下に置かれ、一定範囲の自治を行使できた都市)となった時期。その後発展にともなって町は同心円状に拡大し、1327年には現在の市壁が造られている。第2次大戦の空爆からも奇跡的に免れたことで、歴史的な旧市街はロマンテック街道沿いの他の町同様に、中世の”都市の風景”を今に残している。
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上の写真はきれいな楕円の市壁で囲まれた現在のネルトリンゲン(Google Earth)。中央部分に見る小さな同心円状の通りの形から、かつての市壁の範囲を読み取ることができる。ここネルトリンゲンは、1500万年前に巨大隕石の落下によってできたリース盆地のほぼ中央にある。衛星写真をもう少し引いて見ると、直径約25kmの盆地(クレータ跡)も、町の同心円状の形に見えてくる。下の写真は市壁の内外とメルヘンチックな中世の佇まい。
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アウグスブルク
ロマンティック街道最大の都市アウグスブルクは、紀元前15年、ローマ皇帝アウグストゥスよって築かれた城の起源が都市名の由来である。15世紀から16世紀かけてフッガー家(中世ヨーロッパのこの地を中心に鉱山や金融を営んでいた大富豪)等によって金融都市として繁栄を極めことから“フッガーシュタット”とも呼ばれるというドイツで最も古い都市の一つ。
写真はそのフッガー家によって建てられた、世界最初の低所得者のための集合住宅“フッゲライ”。敬虔なカソリックで勤勉な、にもかかわらず貧しい家族持ちなどが入居対象の社会福祉住宅である。1521年の完成以降も、住居棟が増えるに伴って教会・学校・病院等も設けられ、フッゲライ自体が小さな町のようになったという。先の大戦で甚大な被害を受けたが、フッゲライの現在は歴史文化財として観光に寄与する一方、現役の福祉住宅としても活用されている。
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by toshinac | 2012-04-28 10:55 | trip photos

ダルムシュタット芸術家村

e0116578_11504744.jpgダルムシュッタットはドイツ中部・ヘッセン州の行政の中心地。ユーゲントシュティール(広義ではアール・ヌーボーの同意語)の建築が集まる芸術家村は、19世紀末、ヘッセン・ダルムシュタット公国最後の大公エルンスト・ルードヴィヒが、新しい芸術表現に取り組んでいる芸術家を各地から招聘し、町はずれの「マチルダの丘」につくらせた村。その際に築かれた建築の多くは、総責任者として建設の任にあたったオーストリアの建築家ヨゼフ・マリア・オリブリヒが設計している。特に大公の結婚を記念して建てられた結婚記念塔(1907年)は有名で、結婚を宣誓した時の大公の手をモチーフとした建物上部の形態が特徴的である。

下左の写真は、住む人の優雅な佇まいが感じられるようなグリュッケルトハウス(オリブリヒ設計)。1901年の建築だが1967年に再建されている。右は結婚記念塔近くに建つロシア教会。この場所にどうしてロシア正教の教会が?という感じもするが、大公の娘が帝政ロシアのニコライ2世のもとに嫁いだ記念に建てられた教会だそうである。設計はロシアの建築家レオン・ベノワ(1856~1928年)。


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by toshinac | 2012-04-19 11:58 | trip photos