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エルコラーノ遺跡

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ナポリ湾を臨むエルコラーノ遺跡は、西暦79年のヴェスヴィオ火山の大噴火により、ポンペイとともに埋もれた古代ローマの都市遺跡。火山礫や灰で埋もれたポンペイと違い、エルコラーノは数度の火砕流によっての埋没だそうである。そのため、噴出物の落下で屋根が潰されたポンペイに比べ、下から埋まっていったエルコラーノでは、熱による炭化はあるものの建物の損傷は大きくなく屋根が残るものも多い。
ポンペイの1/3ほどの規模ながら保存状態はより完璧で、民家や商店、通りや船着き場跡など、往時のヘルクラネウム(エルコラーノはギリシャ支配下の都市名ヘルクラネウムのイタリア語化した呼び名)の佇まいを彷彿させてくれる。
上の写真は、かつての船着き場近くから眺めた遺跡。その先に見る現在のエルコラーノ市街の地下には、未発掘のヘルクラネウムの街がいまだ眠り続けている。下は2000年にも及ぶ時を超えて現れた古代都市の街路と民家。
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上の写真はアトリウムのある住宅。漏斗状に架けられた木造屋根の中央に設けた開口は、明かりを取り込むとともに雨水を集めるためのもの。床に設けられた水槽に雨水を落とし、地下の貯水槽に溜めて生活用水などに利用していたようである。
下左は「ネプチューンとアンピトリティスの家」と呼ばれる小住宅のアトリウムに設えられた装飾壁。中央に小さな噴水を配し、青を基調としたモザイク画で飾る。
下右は「スブウルバーナ浴場」跡のロビーにある女神の胸像。
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by toshinac | 2012-10-20 10:35 | trip photos

モンテ・カッシーノ修道院

ベネディクト会の総本山でもあるこの修道院は、ローマの南東130kmほどに位置するカッシーノ山(標高519m)の頂きにある。修道院が初めて築かれたのは529年頃とされているが、この地域が戦略上の要地であったことから度々戦乱に巻込まれ、僧院は破壊と再建を繰り返すことになる。
第2次世界大戦の末期、ドイツ軍の占領下にあった修道院は、連合軍の空爆で壊滅的に破壊され廃墟と化すも、ドイツ軍がここを要塞化したことから、カッシーノ山は、連合軍との壮絶な戦いを繰り返した場所となった。多大な犠牲を払って占領した所謂“モンテ・カッシーノの戦い”は有名な話である。戦後、国の援助により17世紀の様式に復元された。

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e0116578_17412473.jpg訪れたとき、内部の撮影は禁止されていたため写真は外部のみ。
上の写真は、教会前の中庭に出る階段を入口側の回廊から見る。右の写真は教会前の中庭回廊。
外観は清貧を信条とするベネディクト会ならではの簡素な意匠だが、内部の絢爛さには驚かされた。
ベネディクト会から派生したシトー会の修道院である、南仏プロヴァンスの“ル・トロネ修道院”の内部意匠とは大違い。この豪華さは総本山ならではのものなのかも?








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by toshinac | 2012-10-10 17:52 | trip photos

ヴィラ・アドリアーナ

ヴィラ・アドリアーナは、ローマの東約30kmのティボリ市にあるローマ皇帝ハドリアヌスの別荘遺跡である。帝国領土の巡察を繰り返した皇帝が、自ら見聞した風物や建築の要素を取入れて実現させた別荘で、歴代ローマ皇帝の別荘の中では最大級の規模を誇る。造営の開始は皇帝に即位(117年)した翌年からと、最初の巡察の旅から帰還した125年頃という説もあるが、完成は134年頃とされている。
穏やかな気候と豊かな水と森に恵まれたこの地に、ギリシャやエジプトなど、各地の風景や建物を偲ばせる環境と芸術が詰った“ヴィラ・アドリアーナ”は、ハドリアヌス帝にとっての理想郷であったと想像できるが、3世紀には既に打ち捨てられて採石場に化したという。いまは美しい廃墟が残るのみ。

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円形の池に浮かぶ“海の劇場”と称されるこの場所は、皇帝が一人なるための居間であったとされている。火山灰を材料とした天然のコンクリートと煉瓦で造られた外周壁と、ギリシャ式の列柱から成る回廊は、廃墟の島を隔てる水盤にその陰を落とす。・・・どこかもの悲しい美しさ。(写真上)

写真下は、エジプトの古代都市アレクサンドリアとカノプス(8世紀ごろ、地震などによって水没したとされるエジプト北部の都市の一つ)を結ぶ運河を模したとされる“カノプス”。運河状の泉水の奥に見える半球状の建物は、カノプスのセラピス神殿の一部を再現したものと言われている。
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by toshinac | 2012-10-01 08:54 | trip photos