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オストゥーニ

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e0116578_10515396.jpgイタリア南部のブーツの形をした踵の位置にあるオストゥーニは、アドリア海に程近い中世の丘状都市。近隣のロコロトンドやチステルニーノなどと同様に、白く塗られた建物が隙間なく連続し、遠見には一体化した巨大な構築物の様相を呈している。
都市の始まりは定かではないが、最も古い記録は996年に初めて司教座を持つ都市になったと記された1枚の羊皮紙だそうである。長い歴史の中で様々な民族の支配下となり、幾多の領主による統治が繰り返された過程で形成されてきた街は、城壁替わりとなる一体化した住居や、敵を惑わす迷路空間など、侵入者から身を守るための防備が固められながら成長してきた都市である。
写真上はオストゥーニの歴史的街区を遠望したもので、頂きに大聖堂を見る。写真左は特徴的な外観を見せる大聖堂。正面の引きがなくファサードの撮影が難しい。
写真下は、真っ白な外壁と曲りくねった小路、路上を跨ぐ建物が形づくるトンネルやバットレスが錯綜し、光と影の白い迷宮を創りだす。
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by toshinac | 2012-11-26 10:56 | trip photos

パエストゥム遺跡

ヨーロッパ最古の医学大学が創られた都市として知られるサレルノから、南に40km弱にあるパエストゥム遺跡は、「ポセイドン神殿」・「ヘラ神殿」・「アテナ神殿」という三つの神殿が往時の面影を残す古代ギリシャの都市遺跡。先史時代からの集落はあったらしいが、始まりはB.C.7世紀中ごろギリシャ人によって築かれた植民都市ポセイドニア。その後B.C.400年ごろルカニア(南イタリアバシリカータ州一帯)に占領されパイストスと呼ばれ、B.C.273年ローマの植民都市となるにおよんでパエストゥムと呼ばれるようになったという。下の写真は、かつてのアゴラ(中心広場)近くから南に見えるポセイドン神殿を展望。
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写真上はほぼ完全な形を留めているポセイドン(第2ヘラ)神殿。B.C.460年ごろの建造で、古典期の純粋なドリス式神殿としては、建築史上もっとも優れた作品という評価もある。1787年3月24日、この地を訪れた文豪ゲーテは、イタリア紀行の中で 「このような建物は模写を通じてはとうていその概念は得られぬもの・・・こういうものは、建築的図面で見ると実物よりも繊細にみえ、遠近法的図面では実物よりも鈍重にみえるものだ。ただその周囲を歩いたり、その中を通ったりして始めて、その本来の生命に触れることができる。すなわち、かつて建築家が何を企図し、どこに生命を吹きこんだかを、その中から感得し得るのである」と述べている。確かにゲーテの時代に無かった写真を通しても、実物を目の前にした圧倒的な量感からくる迫力には及ばない。
写真下の上左はポセイドン神殿。上右は通称バシリカと呼ばれるヘラ神殿(第1)内からポセイドン神殿を見る。三つの神殿の中では最も古いヘラ神殿は、B.C.550年ごろの建造と推察されている。正面の柱が9本という珍しい平面から、世俗的な公共建築であるバシリカと誤って呼ばれた名称が通称となったそうである。下左右はアゴラの北側に広がる遺跡の端に位置するアテナ神殿。およそB.C.500年ごろの建造とされ、かつてはケレス女神を祀った神殿とされていたが、近年出土した遺跡からアテナ女神を祀った神殿と断定されている。
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by toshinac | 2012-11-10 14:33 | trip photos

アマルフィ海岸

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イタリア南部のサレルノ湾に面するソレントからサレルノに至るアマルフィ海岸(コスティエラ・アマルフィターナ)は、切り立つ崖と小さな入り江が連なる美しい海岸線。
ティレニア海のコバルトブルーの海と、入り江の斜面に張り付く建物によって創りだされる魅力的な町が、全長40km程の海沿いに数多く点在する。これらの小さな町は4世紀頃からの形成とされるが、中世初期には羅針盤を使って航海術を発達させた海洋都市国家アマルフィ共和国の支配下となる。
一帯は古の輝かしい歴史と、中世期におけるイスラム文明との接触から生まれた建築様式、そして急峻な地形でのオリーブやレモンの栽培法などの文化的意義が認められ、1997年に世界遺産に登録されている。
右の写真はソレントからポジターノにかけての海岸線。人々は入り江の僅かな平地にも小さな集落を造ってきた。


ポジターノ
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ポジターノは16世紀から17世紀にアマルフィ共和国で繁栄した港の一つ。
20世紀に入った頃は貧しい漁村であったらしいが、「怒りの葡萄」や「エデンの東」などで有名なノーベル賞作家“ジョン・スタインベック”が、1953年に「ポジターノに寄せる深い想い」を雑誌に掲載したことで注目をあび、以後観光地として発展。現在ではアマルフィ海岸でも屈指の高級リゾート地となっている。
上の写真左は、切り立つ崖を背後に建物が段状に重なる景観が特徴的なポジターノ。
上右は海岸から眺めた聖マリア・アッスンタ教会。1200年頃に建てられたというこの教会は、マヨルカ焼のタイルで覆われたクーポラが特徴的なポジターノのシンボル。

アマルフィ
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アマルフィ海岸沿いの最大の町アマルフィは、ジェノバやヴェネツィアといった北イタリアの名高い海洋都市よりも早く、地中海での交易の拠点として繁栄を極めた華やかな歴史を持つ町。イスラムやビザンチンなどの様式が複雑に混ざり合った独特の町並みと、南イタリアらしい輝きに満ちた美しい風景は、今も世界中から大勢の観光客を引き付ける。
上の写真はアマルフィの中心部から東側斜面にかけて展開する景観。山の中腹にある連続アーチの建築(かつてのサン・ロレンツォ・デル・ピアーノ修道院で今は市民墓地)、段状に広がるレモン畑、白を基調とした重なり合う住宅地、そして港。海から眺めるアマルフィの町は自然と一体となった都市景観を見せている。

下の写真左は、港に近い広場に聳える大聖堂(創建は10世紀)。現在のものは19世紀後半に再構成されたものだが、元来のアラブ風の外観を理想化して造られたという。独特のアーチと豊かな色彩のモザイクで彩られたファサードが美しい。
下右はポジターノ・アマルフィ間の小さな入り江で見つけた崖に取りつく住居群。
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by toshinac | 2012-11-01 16:07 | trip photos