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ポルト・ドーフィーヌ駅の入口

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ポルト・ドーフィーヌ駅(1903)は、パリ市の北側を半環状線状に巡る地下鉄(メトロ)2号線の西の終端駅。その入口であるこの建築は、フランスのアール・ヌーヴォーを語る上で欠くことのできなない「芸術の建築家」、エクトール・ギマール(1867~1942)のデザイン。初期の代表作である集合住宅カステル・ベレンジェ(1899)で称賛を得たギマールは、1900年、市内の地下鉄入口のデザイン依頼を受けると、鋳鉄製プレハブ工法を導入し、1913年までにじつに140以上もの入口を手掛けた。後にその大半が取り壊されるのだが、その背景には、戦後のアール・ヌーヴォーへの拒絶反応だけでなく、当時の多くの建築家たちが過度な装飾性を嫌い、自らを「芸術の建築家」と呼ぶギマールに対し批判的であったことも一因としてあったらしく、最終的にはデザインの依頼も取り消されたという。
現存する入口のそのほとんどは手摺のみのものが多く、ガラス屋根の付いたオリジナルの入口は、ポルト・ドーフィーヌ駅と、12号線にあるアベス駅のみである。写真のポルト・ドーフィーヌ入口は1983年に撮影したものなので、現在のように入口周辺の整備もされてなく、塗装も昔のままでガラスにも汚れが目立つが、生い茂る草木の中に同化するかのように建つ姿はじつに優美である。

下の写真左側は入口正面。入口の両側と、一番奥の中央に立つ支柱の3本に支えられたガラスの屋根が軽やかに浮遊する。右は現存しないパビリオン風のバスティーユ駅入口の色付け写真(EUROPE:BEGINNING and ENDより)。ブリュッセルの巨匠ヴィクトール・オルタ(アール・ヌーヴォー様式を装飾芸術から建築へ取り込んだ最初の建築家。1861~1947)のタッセル邸(1983)を見たギマールは衝撃を受け、オルタの言葉、「モチーフとして使いたいのは花ではなく茎」を継承し実践していったという。まさに、支柱や方立の水直材は植物の茎のように立ち上がり、上部で枝分かれして小枝を広げている意匠である。
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上の写真は入口内部で、階段室を取り囲む腰壁とバタフライ状に架けられたガラス屋根。細い茎状の方立に嵌め込まれたオレンジ色の装飾パネルは、セラミック系で量産を図ったものだというが、大きな平板を反りなく、しかも湾曲したパネルも作った、当時のセラミック技術には感心させられる。

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by toshinac | 2013-07-30 18:16 | trip photos

アブラクサスとピカソ・アリーナ

大型PC部材によるプレハブ工法や、特異な形態で注目された集合住宅アブラクサスとピカソ・アリーナは、パリの東郊外に位置するニュータウン、マルヌ・ラ・ヴァレにある。パリ周辺の5つのニュータウンの中の一つで、1972年に計画人口30万人を対象として開発が進められた地域。パリの南西部に比べ東部は取り残された地域であったらしいが、開発も進み、地域内に点在する町を高速道路で結び、鉄道を延長し、「ディズニーランド・パリ」が開園(1992年)したたことでTGVも乗り入れるなど、大きな発展を見せている。
集合住宅アブラクサスとピカソ・アリーナは、広大なマルヌ・ラ・ヴァレのポルト・ド・パリ地区のノワジー・ル・グランにある。

アブラクサス(Les Espaces d’Abraxas)

e0116578_1144637.jpg1983年完成の低所得者を対象とした公共集合住宅で総戸数550戸。設計はスペイン生まれの世界的な建築家リカルド・ボフィル(1939ー)である。労働者の住宅を古典的なモチーフによって宮殿や劇場に見立て、スラム的なイメージを払拭するというコンセプトのもとの設計らしいが、労働者の住宅=スラム的と、宮殿や劇場=非スラム的の繋がりはいま一つしっくりこない。
1980年代といえば“ポスト・モダン”の風が世界中を吹き抜けた時期。単調?と言われたモダニズム・デザインから何か新しい形態を理由付して創り出すことが建築界の潮流でもあった。
コンセプトはともあれ、外壁にプレハブ化したパネルを使用するなど、生産面での合理化を図りながらの近未来的デザインは注目をあび、度々映画の舞台にもなっている。



写真左は古典的なモチーフを随所に用いた外観。下は劇場のような中庭広場。
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ピカソ・アリーナ(Les Arenes de Picasso)
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e0116578_11583383.jpg1984年完成のピカソ・アリーナは、アブラクサスと同じく低所得者用の公共集合住宅で、540戸の住居と居住者の子供が対象の学校が広場を中心に計画されている。巨大なドラム型の円い2棟の高層住居が向かい合う形で建ち、それを低層の住居等の建物で連結し広場を形成。巨大な蜂の巣のようなドラムと、建物の足元を取りまく回廊に設けられた動物の骨を想わせる飛梁(フライング・バットレス)が特異な景観を創りだし、見る者を圧倒する。
ローコスト化を図るため大型ユニットによるプレハブ工法を用いているが、PCユニットはなんと4700パーツを数えるという。
設計はマリノ・ニュネズ・ヤノブスキー(1942ー)。
サマルカンド(ウズベキスタン)出身でバルセロナの大学に学び、フランスやベルギーでの活動が多い建築家だそうである。

写真上は広場からの眺め。左は広場へのアプローチ。下はPCのユニットを見る。
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by toshinac | 2013-07-18 12:09 | trip photos

ペレの建築/パリ

オーギュスト・ペレ(1874~1954)は20世紀のフランスで活躍した、ベルギーのブリュッセル生まれの建築家。エコール・デ・ボザールで学び、多くの賞を得るもなぜか中退し、建築家の兄とともに父親の建設会社を相続。建材としてはまだ新しかった鉄筋コンクリートに逸早く注目し、多くの鉄筋コンクリート構造の作品を残している。コンクリートの打放し仕上げやプレキャストコンクリートの実験的作品など、近代建築への影響は大きく、ペレの事務所に在籍した若いコルビジュエに与えた影響は特に大きかったとされている。
ペレの生誕地にある銘板には「鉄筋コンクリートに初めて建築的スタイルを与えたフランスの建築家」とあるそうである。

e0116578_1425124.jpgフランクリン通りのアパート
1903年に建てられた、鉄筋コンクリート造による最初の都市型集合住居で、斬新な平面、屋上庭園、ガラスブロックによる採光など、近代建築の要素が盛り込まれているが、陶製タイルによるアール・ヌーヴォー調の外装が時代を感じさせる。
構造は鉄筋コンクリートのパイオニアの一人で、せん断補強筋を発明したフランソワ・エンヌビック(1842~1921)。
外装タイルはアレクサンドル・ビゴ(1862~1927)で、エクトール・ギマール他、当時活躍した建築家との共同作品も多いセラッミク作家。











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ル・ランシーの教会堂
パリの郊外15kmほどに位置するル・ランシーの街に建つ“ノートルダム・デュ・ランシー教会”は、鉄筋コンクリート構造で、世界最初のコンクリート打放し仕上げの教会堂(1923)である。
アール・デコ調のシンプルな外観は、ヨーロッパ各都市の重厚な教会建築に見慣れた目には物足りなさを感じるが、直径43cmの円柱(日本では考えられない細さ)にヴォールト天井を架け、壁面全てが色ガラスで囲われた堂内は圧巻。「RCのサント・シャペル」との評もある。





下の写真は教会内部。訪れたのは曇天の夕方で撮影条件は最悪。機会があるなら明るい陽射しのもとで訪れてみたい。
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国有動産保管所
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通称モビリエ・ナショナル(1934~1936)と呼ばれるこの建物は、パリ市南部の13区に建つ。ゴブラン織り(つづれ織りによるいわゆるタピストリー)の職人たちの庭だった場所にペレが建設したこの建物に、1937年に保管所が設置されたという。国の行事に用いる国有の家具や織物などの修復・保管をするための施設だが、建設当初の用途は?(勉強不足で分からない)。外観はシンプルで装飾は一切なく、窓と壁の繰り返しによる立面構成だが、砂岩を混ぜたコンクリートの微妙な色の変化や、テクスチャーに拘りをみせたというペレらしい材質感はよくわかる。

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by toshinac | 2013-07-03 14:49 | trip photos