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リスボン・ベレン地区(サンタ・マリア・デ・ベレン)

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かつては大航海時代の基地であり、インド航路を発見しヴァスコ・ダ・ガマの出航地として知られるベレン地区は、リスボンの中心部から西に6kmほど離れたテージョ川沿いに位置し、世界遺産のジェロニモス修道院やベレンの塔で有名な観光地である。また、山の手に広がる高級住宅地を背景に、博物館や美術館などの文化施設も数多く、リスボンでも指折りの文教地区のようである。
上の写真はテージョ川に架かる4月25日橋(40年以上の独裁体制を終わらせた、1974年4月25日の無血軍事クーデター(カーネーション革命)が橋の名の由来)で、対岸のアルマダとリスボンを結ぶ全長2277mの吊り橋。たもとにはリスボン市を一望できる高さ100mにも及ぶクリスト=レイ像が建つ。

ジェロニモス修道院
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e0116578_12101924.jpgポルトガル独特ともいえる末期ゴシック建築の典型とされるジェロニモス修道院は、ポルトガル王国の黄金期を築いたマヌエル1世(在位:1469~1521)によって1500年頃に着工され、回廊部分は1517年頃、聖堂部分は1551年頃に主要部分は完成したものの、その後増改築が続き、スペインとの連合など政治的背景もあって、工事は中断することもあり、最終的には完成までに300年ほど有したという。大航海時代の繁栄を象徴するかのような過剰な装飾と、デザインに船具や海産物など、海洋のモチーフが多用されているのが特徴的なこの様式は、マヌエル1世にちなんで“マヌエル様式”とも呼ばれ、ポルトガル全土に多く見る。

写真上は修道院の南側全景。繊細な彫刻が施されたサンタ・マリア教会の先に、修道院の居住部のファサードを構成する柱とアーチが連続する。
写真左は、ヴァスコ・ダ・ガマの棺が安置されているサンタ・マリア教会礼拝堂。椰子の木を模したとされる柱には、海洋のモチーフが模様となって刻まれている。







ベレンの塔

e0116578_1214237.jpgベレンの塔は、大西洋に注ぐテージョ川の河口を守るための要塞建築。マヌエル1世の命により、軍事的建築の専門家であったフランシスコ・デ・アルーダ(エルヴァスのアモレイラ水道橋やエヴォラのアグア・デ・プラタ水道橋の設計者 ?~1547)の設計で1519年に完成。リスボンの港に出入りする船を監視する役目から、砲台や兵器庫や水牢などを備えた要塞だが、その上階には王家の居室なども設けられ、マヌエル様式の装飾をまとった姿は優雅な宮殿の佇まい。司馬遼太郎が「街道をゆく 南蛮のみちⅡ」の中で、“テージョ川に佇みつくす公女のように見えてくる”と表現したことで、日本では「テージョ川に浮かぶ貴婦人」と形容されている。

写真左。ポルトガルの栄枯盛衰を見守ってきたベレンの塔は、その役目も船の監視・貿易船の通関所・灯台など、時代に即した役目を担ってきた。建設時は水位も高く河岸から離れ、川に浮かぶ“ベレンの塔”の様相を呈していたらしいが、水位や流れの変化で岸が近づき、やがて桟橋が架けられた。下の写真は折り紙建築のベレンの塔(中沢圭子作)
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by toshinac | 2014-03-27 12:18 | trip photos

リスボン・バイシャ地区

大西洋に注ぐイベリア半島最大のテージョ川北岸に位置し、外洋から10数km遡った天然の良港に恵まれて栄えた都市リスボンは、“7つの丘の都”と呼ばれる起伏の激しい土地に展開する、静かで趣のある美しい街である。そのリスボンのダウンタウンの中心を占めるバイシャ地区は、1755年の大震災後に再開発された地域で、復興、再建に強権的な指揮を執った宰相セバスティアン・デ・カルヴァーリョ(後のポンバル侯爵 1699~1782)の名と、「低い土地」を意味するバイシャから“バイシャ・ポンバリーナ”と呼ばれている。
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e0116578_16335385.jpgリスボンの南西200kmの海底を震源とする地震は、M8.5~9という巨大地震で、15m級の津波がバイシャ地区を飲みこみ、丘上の市街地は火災で焼き尽くされ、リスボンの建物の85%が破壊されたという。
当時の国王ドン・ジョゼ1世の全幅の信頼を得たポンバルは直ちにリスボン再建を構想し、瓦礫の一掃、各地区の区画割、測量、登記、仮設住宅の建設(約9000戸の木造仮設)等を進めると同時に、リスボンの中心であるバイシャ地区周辺の再開発に、軍事技術者で建築家のエウジェニオ・ドス・サントス(1711~1746)の案を採用。古くからバイシャの南と北にあった二つの広場(王宮広場とロシオ広場)を格子状の街路で結んだサントスの案は、ほぼ現在のバイシャ地区を構成している。
上の写真は、丘上のバイロ・アルト地区にあるアルカンタラ展望台から眺めたバイシャ越しのサン・ジョルジェ城。
左の写真は、南のコメルシオ広場と北のロシオ広場間に展開するバイシャ・ポンバリーナの衛星写真(Google Earth)。ロシオ広場に隣接する正方形の広場は20世紀中頃に造られたフィゲイラ広場。




コメルシオ広場
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e0116578_16421883.jpgバイシャ・ポンバリーナの南の起点であるコルメシオ広場(商業広場)は、大震災で崩壊したリベイラ宮があった嘗ての王宮広場。
植民地帝国の首都であり、国際貿易都市リスボンの顔ともいえる表玄関である。南をテージョ川に開き、東・西・北の3面をアーケード付きの建物(政府関係の庁舎と貿易関係施設)で囲み、北面中央にはアウグスタ通りに抜ける凱旋門が設けられ、東西の建物の端には、再建されなかったリベイラ宮を偲ばせる塔状の建物が付く。
南北177m東西192mという広大な広場は、エウジェニオ・ドス・サントスの計画通りに実現した。

写真上は広場中央のジョゼ1世騎馬像と北側のアーケードを見る。

写真左は19世紀に完成した凱旋門(勝利の門)を通して、ロシオ広場に直結するアウグスタ通りを望む。ちなみに写真下はアウグスタ通りの昼と夜。
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ロシオ広場
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かつてのロシオ広場は、当時最大の公立病院であったトドス・オス・サントス病院(1504)やドミニコ派修道院、それに異端審問のための宗教裁判所が置かれたエスタウス宮殿(1450)などに囲まれ、社会的にも重要な役割を担った場所。地震でほとんどの建物は崩壊するが、バイシャの再建と同時に、世界で初めて耐震性を重要視した“ポンバル様式”と呼ばれる建築で建てなおされる。しかし長大なサントス病院は再建されず、唯一倒壊を免れた宮殿も1836年の大火で崩壊、跡地にはマリア2世国立劇場(1846)が建てられた。また広場の北西にロシオ駅(1887)が完成し、当時のリスボンに於ける交通の要衝となり、広場の性格もより庶民的なものに変化する。写真上は初代ブラジル王となったドン・ペドロ4世の像が聳えるロシオ広場。パラディアン様式のポルティコが特徴的なマリア2世国立劇場を奥に見る。オーダーとペディメントは、地震で崩壊したかつての修道院からの再利用だそうである。

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写真左は広場の東側を囲むポンバル様式の建築と背後のサン・ジョルジェ城。






写真下はロシオ駅。マヌエル様式(大航海時代の繁栄を象徴するポルトガル独特の建築・芸術様式)を再現したネオ・マヌエル様式のファサードは、蹄鉄をかたどった二つの入口が特徴的。


さらに下の写真は、ロシオ広場隣のフィゲイラ広場。崩壊したサントス病院の跡地は、しばらくは青空市場であったが、20世紀の中頃に広場として整備された。幅の狭い縦長の窓を規則的に配し、屋根上まで突き出た“うだつ“状の防火壁は、耐震と防火を重要視した典型的なポンバル様式の建築。
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by toshinac | 2014-03-09 17:04 | trip photos