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スプリト歴史地区

クロアチアのアドリア海沿岸地域一帯を占めるダルマチア地方最大の都市スプリトは、ドゥブロヴニクから車で北西に200kmほどの距離にあり、長さ300kmに及ぶダルマチア式海岸(地質構造の影響で形成された、海岸線に対して平行な細長い島の形状が特徴的なリアス式海岸)と呼ばれる複雑に入り組んだ沿岸のほぼ中央に位置している。
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スプリトは先史時代にさかのぼる古い町で、B.C.4~3世紀にギリシャ人の植民都市アスパラトスの建設が始まりとされている。ローマ時代に入ると市名もスパラトゥムと変更され、ダルマチア地域の首都に発展した近郊の都市サロナ(スプリトの北東約5km)出身の皇帝ディオクレティアヌスによって295年頃より大宮殿が造営された。南側180m、北側175m、東西側215mという若干不整形をなす宮殿は、周囲を角塔や八角塔を付けた厚さ2mの城壁が廻るというまさに要塞のような建築。

e0116578_100898.jpgその後スパラトゥムは東ローマ皇帝の支配下に置かれるが、首都サロナが他民族の略奪破壊で滅び、市民の大多数はダルマチア諸島などに逃れたが、やがて東ローマ支配が地域で復活すると人々は本土に戻り、荒れ果てた要塞状のディオクレティアヌス宮殿に移り住んだ。
都市壁として残された城壁内は住宅や商店や広場などが設けられ、遺跡を利用しながら市街地と化していき、現在のスプリト歴史地区の核となる。
上の写真はかつてのペリュスリウム(古代ローマ建築に見る列柱廊によって囲まれた中庭)の南面。奥に宮殿のヴェスティビュール(玄関ホール)があり、東側には7世紀末ごろ皇帝廟を転用した教会堂、ドムニウス大聖堂と鐘楼がある。左の写真は、違和感のない遺跡の中の暮らしぶり。

下の写真左上は宮殿海側のプロムナード。都市壁と化した城壁にも部屋が造られ住居となっている。左下は大聖堂の鐘楼を見上げる。右上は宮殿のヴェスティビュール見上げ。直径9mほどの青空天井が効果的。右下は宮殿の地下。現在は一部土産物店などが入り、賑いをみせているようである。
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上の写真は、宮殿の西側に発展した歴史地区にあるブラチェ・ラディッチ広場に建つパラッツオ・ミレシ。ダルマチアにおける美しいバロック建築の一つに数えられ、現在は国際会議や展示場などにも利用されているようである。広場には15世紀の文学者マルコ・マルリッチの像が立つ。
(写真はいずれも旧ユーゴ時代の1988年撮影)

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by toshinac | 2015-01-28 10:22 | trip photos

ドゥブロヴニク

e0116578_1543596.jpg “アドリア海の真珠”とも呼ばれる美しい街ドゥブロヴニク旧市街は、クロアチアの最南端に位置する市壁に囲まれた世界遺産の街。1991年のユーゴスラビア内戦で破壊され、一時は危機遺産リストに載せられたが、終戦と同時に市民は街の再建に立ち上り、多くの専門家や世界各国の支援も受けながら忠実な修復を続けてきた。
そして嘗ての美しさを取り戻したドゥブロヴニクは、近隣の沿岸諸都市とのフェリーによるアクセスも増し、大型のクルーズ船も数多く寄港するなどアドリア海沿岸屈指の観光地として復興している。
私が訪れたのは内戦前の1988年、ユーゴスラビア時代の社会主義体制下、現在の雰囲気とは多少違いがあるのだろうが、街並みや建築に著しい変化は無いものと思い、フィルム写真をデジタル化したついでに楽しかった旅を思い出してみた。

左の写真は、市壁の上から眺めた旧市街の中心ともいえるプラツァ通り。
下の写真はプラツァ通りをスポンザ宮前から見る。
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e0116578_15485055.jpg友人達とドイツからオーストリアを抜けイタリアを車で南下、バーリからフェリーでドゥブロヴニクに入港したのは夏真っ盛りの7月下旬。社会主義国ということもあり多少緊張感のある入国であったが、入ってみれば雰囲気も食事もイタリア南部との違いはそれほど無く、カメラとレンズの盗難被害(自分の不注意に起因する)を除けば快適な旅だった。
現在のように容易に衛星写真が得られない当時、街や建築を俯瞰する術としてカイト・フォトグラフィーを習得し、旅や調査には凧とカメラを持参していたので、ドイツに戻るまでの残りの旅は、交換レンズのない凧用のカメラを利用した。言いわけがましいがどの写真もいま一つ覇気がないのはカメラを失った喪失感・・・かな?
左の写真は旧港と街を囲む市壁を見る。同行した友人のI氏(現大学教授で専門は西洋建築史)によれば、ほぼ15世紀頃に完成した市壁の工事に、ルネッサンス初期の建築家で、フィレンツェのパラツッオ・メディチの設計者とされるミケロッツォ・ディ・バルトロメオ(1396~1472)が、市壁強化(主に港湾部)の技術者として関わっていたという。そんな史実を知ると市壁を見る目も変わってくる。
下の写真は大聖堂近くのグンドゥリチェヴ広場の朝と昼。宿泊したホテルの窓から撮影。
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by toshinac | 2015-01-13 15:53 | trip photos