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タージ・マハル廟

アーグラ城から2kmほど下ったヤムナー川沿いに建つ、ムガル朝絶頂期の建築であるタージ・マハル廟(1654)は、建物全体を白大理石で覆い、随所に精巧な象嵌細工を施した巨大な宝石を想わせる建築で、世界一美しい墓廟とも称されている。第5代皇帝シャー・ジャハーンが、愛妃ムムターズの死を悼み永遠の記念として建てられた話が通説だが、建物の壁や天井に刻まれた文字の正確な解読ができたとされる近年の研究によると、ムガル皇帝の権勢と“インド宇宙”との遭遇を凝縮した形で示したものという新説もある。
何れにしても22年の歳月と莫大な費用をかけて建てられた白亜の廟は壮大にして優美。
廟がチャハルバーグ(四分庭園)の中心にあるデリーのフマユーン廟とは違い、庭園の北端に廟を建てて楼門からの距離をとることで視覚的効果を高め、泉水にその姿を映してさらなる美しさを演出。
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e0116578_8344277.jpg上の写真は庭園中央から見る廟正面。方95m高さ7mの基壇上の四隅には、高さ49mの円形断面のミナレットが建ち、基壇中央の玄室上部に、高さ65mのドームを戴く隅切方形平面の建物が建つ。デリーのフマユーン廟と同じく、中央八角形の墓室には模棺(セノタフ)が置かれている。

左の写真は、16分割庭園の中央にある泉水に姿を映すタージ・マハル廟。


下の写真は赤砂岩で造られた廟への入口となる高さ30mの大楼門。大小のイワーン(ペルシャが起源とされるイスラム建築要素の一つで、ファサードにアーチ状の開口を造り、三方は壁で天井は開口と同じ形状のアーチ型を持つ半屋外空間)で構成された楼門の入口アーチが、遥か300m先の廟のアーチに重なる。
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by toshinac | 2015-06-24 08:41 | trip photos

アーグラ城

e0116578_1661768.jpgデリーの南およそ200km、ガンジス川最大の支流ヤムナー川沿いに築かれた古都アーグラは、ムガル朝の首都としての繁栄するのは第3代皇帝アクバルの時代から。その礎となるアーグラ城は、アクバル帝が1565年から8年かけて築いた壮大な城郭である。城壁・城門が全て赤砂岩で造られていることから、デリー城と同じようにラール・キラー(ヒンディ語で赤い城)と呼ばれることもある。
アクバル帝後も2代に亘って皇帝の居城となり、ヒンドゥとイスラムが融合したムガル朝の宮殿建築が築造されたが、1648年、6代目のアウラングゼーブ帝がデリーに都を移したことで城郭としての発展も収束する。


左の写真は、城塞南のアマル・シング門から続く城内へのアプローチ。高い両壁が音を反響し敵の侵入を知らしめるとか。




下の写真は、アクバル帝が嫡子の名を冠したジャハーンギール宮殿の外観。赤砂岩の壁に白大理石の象嵌模様が映える。その下の写真は、柱梁構造がよく解る宮殿中庭。観光客とおもわれる女性達の色鮮やかなサリーが赤砂岩一色の空間に彩りを添える。
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上の写真は、アングリー庭園越しに見る5代目のシャー・ジャハーン帝の白大理石の寝殿(ハース・マハル)。左に八角形の塔(ムサンマン・ブルジュ:囚われの塔)を頂く居室がある。
下の写真は、床に噴水を設えるなど贅を尽くしたシャー・ジャハーン帝の居室。息子のアウラングゼーブ帝に王位を追われた後、晩年の7年間ここに幽閉され、およそ2km先の川沿いに建つ、愛妃ムムターズが眠るタージ・マハル廟を眺めながら過ごしたと言われている。
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by toshinac | 2015-06-14 16:19 | trip photos

チャンディーガル

デリーの北、約240kmに位置するチャンディーガルは、ル・コルビュジエの都市計画が実現した都市として知られるパンジャーブ州の州都。インドとパキスタンの分離独立(1947)後、インド側のパンジャーブ州に新州都の建設が決定され、インド政府の依頼を受けたコルビュジエが、CIAM(近代建築国際会議)の都市計画の原則に沿った形で設計し、工事は1952年から始まった。
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e0116578_14445221.jpgコルビュジエのゾーニングは、公共建築を集めたキャピタル区域のもと、商業区域、教育区域、住宅区域など、セクターと呼ばれる多くの区域が碁盤目状に区画され、緑地公園が都市の中央を貫き、広い道路とセクター内のゆとりある施設配置など、“輝く都市”の理念を求めたもの。インドの伝統的な都市とは異なる解放的で緑豊かな都市である。

上の写真はキャピタル区域で最初に完成(1955)した高等裁判所。正面の赤・黄・緑に塗られた巨大なコンクリート壁柱が特徴的。強い陽射しと豪雨に対処するための巨大な傘のような大屋根は、スパン毎に設けられたジャイアント・オーダーに支えられ、裁判所本体にあたる部分の外壁は深いブリーズ・ソレイユ(日除け)で覆われる。

左の写真は背面側。




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上の写真は、長さが254mという巨大建築の州庁舎(1958)の東南面。打ち放しコンクリートとブリーズ・ソレイユ、屋上庭園とそこに造られた施設のユニークな形態など、ユニテ・ダビタシオンで実施済みの建築要素を随所に見る。下の写真は州庁舎北西面の巨大なスロープの内外。
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e0116578_14545859.jpg上の写真は州庁舎屋上から見た議事堂(1964)。クーリング・タワーにヒントを得たとされる議事堂の形態は、ジャイプールの天文台など、インドの伝統的建築の形態を引用した建築で、チャンディーガルで手掛けた建築では最も地域性を考慮した建築言語が用いられているという。双曲線型の塔は議場の採光・換気・音響機能の役目も果たしている。
左の写真は、コルビュジエの描いた象徴的なモチーフをモニュメントとした“開いた手”の記念碑。調和の象徴としてチャンディーガル計画の当初から設置を考えていたが、実際は没後21年の1986年に完成。風を受けてゆらゆらと動く。

下の写真は、チャンディーガル美術館(1968)。キャピタル区域外の第10セクターに建つ美術館は、上野の西洋美術館やアーメダバードのサンスカル・ケンドラ美術館と同様の、「無限に成長する美術館」の構想に基づいた設計となっている。
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by toshinac | 2015-06-03 15:05 | trip photos