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チットールガル城砦

中世に北西インドを席巻したイスラム軍に対し、頑なに抵抗したメーワール王国(ラージプート族の一氏族)の都であったチットールガルは、ジャイプルの南西250km程に位置する城塞都市。切り立つ崖に囲まれた細長い丘上には、複数の宮殿や寺院等が築かれ栄華を誇っていたが、14世紀以降3度に亘るイスラム軍の猛攻に遭い、1567年ついに陥落、都城は放棄された。ここは勇猛果敢に戦ったラージプート族の激戦の記憶をいまに留める城砦である。
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上の写真は、15世紀の王ラーナ・クンバが戦勝を記念して建てた9層、高さ37.19mの勝利の塔( ヴィジャイ・スタンバ:1448 )。
塔の内外全面にヒンドゥ教の神像が配され、中央の螺旋階段とその外側を廻る階段を交互に上り下りするという、二重螺旋とも違う不思議な構成の階段を持つインドでも珍しい塔建築である。
下の写真は、砦の西側中央付近からヒンドゥのカーリカー・マータ寺院( 8世紀頃の創建で1568年に再建されたものだそうである )越しに南を望む。さらに下の写真は、ヒンドゥ寺院に付属するナンディー堂(シヴァ神に仕える雄牛ナンディーを祀った祠堂)。
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下の写真は、砦の南にある遺構パドミニ宮殿の貯水池の中に建つ館。
平地から150mを超える高い丘上にある城砦だが、モンスーンの時期には大量の雨が降る地域ということもあり貯水池が非常に多く、その数はなんと84ヶ所に及ぶ。貴重な生活用水が確保される城砦内には、多い時で35000人もの人が住んでいたという。
北インドを支配していたハルジ―朝の第3代スルタン、アラー・ウッディーン・ハルジ (1296?~1316)は、1303年には西インドのヒンドゥ諸国を平定しているが、伝説では、ときのメーワール国王ラタン・シンの妻パドミニ王女への横恋慕が、チットールガル攻撃の原因という説がある。
1302年スルタン軍に攻め込まれ城砦が陥落すると、美しい王女パドミニ( インドの観光キャッチ・フレーズでは、ラージャスターン州のクレオパトラと言われている )と宮殿の女達は火中に身を投げ、自ら死を選んだという悲しい物語の舞台。
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by toshinac | 2015-08-29 10:18 | trip photos

チャンド・バオリ

チャンド・バオリ(9世紀)は、ラージャスターン州の州都ジャイプルから東に90km程に位置する町バンディクイの、南6kmにある小さな村アーバーネリーにある階段池(クンダ)。寺院の貯水槽という意味を持つクンダは、渇水期の水を確保する為の施設というだけでなく、水への信仰を持つインド文化の伝統が創りだす聖なる場所でもある。特に乾燥した西インド地方に多く見られ、その起源は紀元前の古代インドにおけるバラモン教の水神信仰に求めることができるという。
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e0116578_805126.jpg上と左の写真は、地下7層に及ぶクンダの、階段で構成された三方に対峙するもう一方の複数層にわたって配された部屋。
上層部のアーチを持つ部屋はムガル朝のものだが、下層の祠に見る装飾はヒンドゥのものである。










下の写真は最上階のホールでクンダ最上部に抜ける。
さらに下の写真はクンダ最上階を巡る回廊よりクンダを見る。
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下の写真はアーバーネリー村の衛星写真(Google Earth)。集落西側に約35m四方のクンダとそれを取巻く回廊屋根からなるチャンド・バオリを見る。その西側に見る矩形は、クンダとの関係があった9世紀のハルシャ・マーター寺院跡。
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by toshinac | 2015-08-20 08:07 | trip photos

アンベール城

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アンベール城は、ジャイプルに遷都(1727年)される以前の、アンベール王国(ラージプート族のカチワーハ家の王国)の首都に築かれた城郭建築で、ジャイプルの北東11kmの山間にある。11世紀頃この地を支配するようになったカチワーハ家により拡張され始め、16世紀初頭から城郭としての大規模な建設が始まり、その後歴代の王による増改築なされ、17世紀のジャイ・シング1世の時代にほぼ現在の姿になったようである。ムガル帝国との同盟関係という背景もあり、宮殿はイスラムとラージプートの伝統様式で造られており、随所に施された精緻な装飾が華やかな王宮の生活を偲ばせる。かつてマハーラージャに限られていた象に乗っての入城が、いまでは観光客が象の背で、ゆらりゆらりとマハーラージャ気分。
上の写真は、ジャイプルに続く道アマー・ロードから、城の水の供給源であるマオタ湖(人造湖)越しに望むアンベール城。
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e0116578_9403788.jpg上の写真2葉の上は、宮殿入口のガネーシャ門がある宮殿前広場。右にガネーシャ門、左に公謁殿(ディワーニ・アーム)。上の下は公謁殿から眺めたガネーシャ門。華やかに彩られたイワーン奥の入口アーチの上部には、ヒンドゥーのガネーシャ神が描かれている。

左の写真上は、宮殿上階から眺めた山上のジャイガール城塞(11世紀)と長大な城壁。アンベール城が築かれるまでは、ジャイガール城塞がマハーラージャの居城であった。左の写真下はアンベール城の麓に展開するアメールの町。

下の写真は、ジャイ・シング1世によって1639年に建設されたマハーラージャの私邸(内殿)ジャイ・マンディル殿(勝利の間)と、ムガル様式の中庭アルマ・バーグ(歓喜の庭園)を見る。
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by toshinac | 2015-08-06 09:44 | trip photos