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イスファハーン(2)/四半世紀前のイラン

金曜モスク(マスジェデ・ジャーメ)
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イランにおけるモスク建築の歴史を体現していると言われる金曜モスクは、8世紀後半に他のモスクの説教壇がこの地に移送されたのが始まりとされるイスファハーン最古のモスク。
最も初期の形態は定かではなく、長年に渡って増築・改築・修復を繰り返してきたため、建物のどの部分がいつの時代のものかという特定が難しい複雑な歴史を持っている。だがその主要部分と基本的構成は11世紀~12世紀に造られており、セルジュク朝時代の代表的な建築であるとともに、各時代の様式が見られる博物館的な建築と言われている。
上の写真は、中央に礼拝者が身を清めるための泉水が設けられた約60m×70mの中庭で、東南側イワーン(左)と南西側イワーン(右)を望む。南西側イワーンの両側に建つミナレットは、1475年の修築時に付加されたものとされている。下の写真は東南側イワーンと回廊詳細。
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上の写真左は、南西側回廊内部。中庭を囲む回廊は列柱とドーミカル・ヴォールト(ドーム状ヴォールト)が連続する空間。煉瓦造の円形柱を方眼状に配し、それらの頂部を尖塔アーチで繋ぎ、区画毎に多様な形式やデザインの煉瓦化粧積みのドーミカル・ヴォールトが架かる。
上の写真右は西北側イワーンのミフラーブ。イルハン朝の第8代君主オルジェイトゥ・ハン(在位1304~1316)による建立とされ、精緻な文様が漆喰で造られている。

バザール
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e0116578_16135996.jpg中東におけるバザールの中で最大規模をほこるイスファハーンのバザールは、旧市街中心部にある金曜モスクとイマーム広場を結ぶ全長2kmにもおよぶ歴史ある市場。
セルジュク朝の11世紀~12世紀頃には、金曜モスク周辺にバザールは存在しており、サファヴィー朝のアッパース1世による新市街の建設後に規模は拡張し、交差する通りや並行する通りにも店舗や商人の住宅が増え、隣接して遠隔地交易のためのキャラバンサライ(宿泊施設)や倉庫やハマーム(公衆浴場)などが設けられ、大バザールを含む旧市街が形成されてきた。
上の写真は、金曜モスクに近い古いバザール(左)と、イマーム広場に近い比較的新しいバザール。薄暗い通りに降りそそぐ天窓からの光はまるでスポットライト。幻想的だが埃っぽいのも事実。
左の写真は、バザールの屋根に近い開口部から覗いた通り。
下の写真は、バザールに隣接して設けられたキャラバンサライ。最大時には100を超えるキャラバンサライがあったという。
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チェヘル・ソトゥーン宮殿
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イマーム広場の西側一帯はサファヴィー朝の王宮で占められていた地域で、アッパース1世の時代には既に宮殿や庭園が造られていたが、このチェヘル・ソトゥーン(40本の柱)はアッパース2世によって1647年に建てられたもの。
建物の後半分に煉瓦造の広間と小部屋を対称形に配し、前面には木造の広いターラール(ポーチ)が設けられた平面構成。特徴的なターラールは、木製の水平天井を細くて高い木柱が支え、柱頭に施された装飾と、繊細な幾何学模様の彩色で覆われた天井が美しく、宗教的建築には見られない瀟洒な雰囲気がある。柱は実際には20本しかないが、池に映ずる柱を加えての40本が宮殿の名となっている。
上の写真は、池越しのチェヘル・ソトゥーン宮殿。砂漠の民であるペルシャ人にとって、水と緑は最高の贅沢でまさに楽園=パラダイス。ちなみに “パラダイス“の語源はペルシャ語だそうである。
下の写真は宮殿正面。中央の光ったところは鏡貼りのイワーンで、ムカルナス装飾は黄金色と鏡を鏤めた壮麗な美しさ。さらに下の写真は、ターラールの柱の柱頭飾りと天井装飾。
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by toshinac | 2016-03-27 16:24 | trip photos

イスファハーン(1)/四半世紀前のイラン

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カーシャーンから南に約200km、標高1600mほどの高原にあるイスファハーンは、町の南部を貫流するザーヤンデ川の水に恵まれ、古くからオアシス農業の中心地として発展した都市である。
ササン朝ペルシア時代(226~651農耕を主とし、ゾロアスター教を国教とするイラン人の建国 )には既に主要都市となっていたらしいが、その後のイスラム教徒支配下時代に於いては、長きに亘って停滞と隆盛を繰り返した歴史がある。サファヴィー朝(1051~1736)の時代になり再び商業・文化・宗教の中心都市として発展すると、第5代君主アッバース1世(1571~1629)によって首都に定められた1598年以降、都市計画に基づいた王の広場を始めとする多くの寺院や宮殿などが建設され、「イスファハーンは世界の半分」と例えられるほどの繁栄を極めた。18世紀に入りサファヴィー朝が衰退すると、イスファハーンはアフガン人によって破壊され、マシュハド(マシャド:イスラム教シーア派の聖地の一つで、テヘランの東850kmに位置するイラン第2の都市)に遷都されて宮廷が消えると、新市街は荒廃しその多くが耕作地に変貌し、飢饉の影響もあって衰退の一途をたどったという。カジャール朝(1796~1925)の19世紀末頃から復興が始まり、20世紀にパフラヴィ朝(1925~1979)のレザー・シャーによる都市の近代化政策で、イスファハーンは近代産業と観光によって復興し、1979年に新市街の王のモスクと広場周辺が世界遺産に登録され、イラン革命後の現在も観光都市として世界にその名を馳せている。
上の写真は、イスラム革命後、イマーム広場と呼ばれるようになった王の広場とイマーム・モスク(王のモスク)を見る。

イマーム・モスク
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イマーム広場の南端に位置するイマーム・モスク(1612~1638)は、アッパース1世の治世下で建てられた建築物の中の代表格。モスクの主軸をメッカの方向にめけるため、広場の南北軸から45度に振れて配置されているが、広場側イワーンと中庭北側イワーンの間に三角形の空間を設けることで、広場から導かれる人々に不自然さを感じさせない巧みな設計や、スクィンチ(正方形平面の部屋に円形ドームを架けるための四隅に架け渡たされた部材で、規模が大きくなると扇状のアーチ構造“スクィンチ・アーチ”となる場合が多い)によって架けられた高さ47mの二重殻のドーム構造、モスク全体を覆う花模様やアラベスク文様の彩釉タイル装飾など、サファヴィー朝の建築技術や芸術性の高さを象徴する建築である。

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上の写真は、イマーム広場の池越しに見たイマーム・モスク。

左の写真は、モスクの入口にあたる広場に面したイワーン詳細。
ムカルナス装飾の美しさに目を奪われる。










下の写真は、モスクの主礼拝室の天井見上げ。緻密な彩釉タイル装飾で埋め尽くされた高さ30mを超える巨大なドーム空間は、吸い込まれそうな不思議な感覚を覚える小宇宙。
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シェイフ・ロトゥフォッラー・モスク
イマーム広場の東側に建つシェイフ・ロトゥフォッラー・モスク(1601~1628)は、アッパース1世が説教師ロトゥフォッラーのために建てた王室専用の小モスク。ドームを頂く正方形の礼拝室は、イマーム・モスクと同様に広場に対して45度振れている。そのため広場入口から礼拝室に至る導線は幾度か折れ曲がるが、結果的に高揚感を高める効果をもたらしている。
イマーム・モスクに比べれば規模は小さいが、ペルシャ建築としては珍しいとされる黄色い彩釉タイルなどを取り入れた装飾は極めて美しく、サファヴィー朝建築の傑作の一つされている。
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上の写真2葉は、シェイフ・ロトゥフォッラー・モスクの正面を、広場を挟んで建つアリ・カプ宮殿のベランダから眺めたもの。王室専用ということもあり、モスクには礼拝を呼びかけるためのミナレットも教徒が集う中庭も無く、かつて宮殿とモスクは地下通路で繋がっていたと言われている。
下の写真は、メッカの方向を示すミフラーブ側を見た礼拝室内部で、ミフラーブの両脇はドームを支えるスクィンチ・アーチ。透かし彫装飾が施された小窓からの薄明かりで、ドーム天井の華麗な文様を幻想的に現出する。
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アリ・カプ宮殿
イマーム広場の西側に建つ「アリの門」を意味するアリ・カプ宮殿は、かつては背後にあった広大な宮殿の門の役目を果たしていたという。15世紀のティムール朝にはその原型はあったらしいが、アッパース1世によって迎賓館として整備拡張され、以降歴代の王族によって増改築がなされてきた建築である。イマーム広場が一望できる優雅なベランダと、アッパース2世によって構築されたとされる音楽の間が特徴的。
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上の写真は、イマーム広場北側に面するカイサリーヤ門(大バザールへの入口)近くの回廊の屋根上から眺めたアリ・カプ宮殿。18本の柱が立つベランダは、かつて王族や来賓が列席し、広場で執り行われたパレードや観閲式など、様々な式典に臨んだ場。東西約160m、南北約510mの広場と背後に広がる旧市街の大パノラマを目の当たりにすれば、王様ならずとも誰しも気分は高揚する。
訪れた当時は駐車する車ばかりが目についた広場だが、現在は見違えるほど整備され、車の乗り入れも制限されているようである。
下の写真は、宮殿最上階にある音楽の間の装飾。壁や天井に花や植物など具象的な絵が描かれたイスラム建築はまれで、ボトルや花器や楽器のような形の穴をあけ、反響音を吸収することで音楽を美しく響かせるという装飾もまた珍しい。
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by toshinac | 2016-03-13 10:08 | trip photos