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ヤズド/四半世紀前のイラン

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イスファハーンの南東約280㎞に位置するヤズドは、カヴィール沙漠の南東部がそのままルート沙漠へと続く接点にあるオアシス都市で、ゾロアスター教(善と悪の二元論を特徴とする世界最古の一神教)文化の中心地。歴史は古代メディア王国の時代(B.C.715年~B.C.550年頃)まで遡るとされており、B.C.6世紀にアケメネス朝ペルシャが成立した時点では、ゾロアスター教はペルシャ人の多くが信奉する宗教となり、3世紀のサーサーン朝では国教になっている。しかしウマイヤ朝(イスラム史上最初の世襲イスラム王朝:661年~750年)に入りイスラム化が進むと、統治が及びにくい辺境のヤズドには、近隣各地のゾロアスター教徒が逃れてきたため、住民の大多数をゾロアスター教徒が占めることとなり、ヤズドでのイスラム教の浸透には非常に長い年月を要したという。
イラン高原が発祥とされるカナート(地下用水路)はヤズドにも多く、灌漑や生活用水の他住居の中庭に緑をもたらし、地下に導いてバード・ギール(Wind catcher)からの風を冷やす冷却水としても用いられている。沙漠の厳しい環境下で培われた伝統的な住居が最もよく残っている町ヤズドは、群青色の空を背景に土壁一色の屋並みが独特の表情を見せてくれる。
上の写真はヤズド近郊で見たカナート。彼方のシール山麓から町まで導かれる地下水路の途上に、地表から掘られた工事用の穴が等間隔で続く。
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e0116578_1127742.jpg上の写真は、伝統的な住居の屋上から見たヤズド旧市街。彼方のシール・クーフ山脈を背景に2本のミナレットが際立つ金曜モスクと、ヤズドの景観を特徴づけるバード・ギールが林立する旧市街を見はるかす。



左の写真は金曜モスク(マスジデ・ジャーメ)。12世紀の創建で1324年から1365年にかけて再建されたものとされ、ミナレットの高さ52mを誇るモスクは、14世紀の優れたイラン建築の一つに数えられている。







下の写真は、旧市街の密集する住居の屋上から眺めたバード・ギールとクーチェと呼ばれる街路。

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上の写真は様々な形態を見せる街路。トンネル状の狭い通りはダラン、オープンな通路をクーチェと呼ぶというが、明確に判別ができない街路も多く見る。
下の写真は、ヤズドの伝統的な住居の中庭。街路から玄関ホール、そして暗い通路抜けた先に水と緑の中庭が展開する仕掛けに、沙漠の民が求めた究極の楽園を垣間見る。写真はターラールの屋上からの眺めたもので、左側のアーチ部分の奥に玄関への通路がある。
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沈黙の塔
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e0116578_11411341.jpg沈黙の塔とは、ヤズド中心部から南西方向8kmほどの岩山にあるゾロアスター教の鳥葬の場ダフメ(墓地)で、“沈黙の塔”は西洋人が付けた呼び名だそうである。
ゾロアスター教の根本経典の中に「死体は山の頂上に葬れ」とあるそうで、遺体を山野の定めた場所に置き、肉食の猛禽類に喰わせ、残った骨を穴などに葬るというこの葬制は、かつてはチベットやインドの一部でも行われていた。
イランでは1930年代に禁止され、いまではイスラム教と同じ土葬になっているという。
上の写真は、2基のダフメがある“沈黙の塔”全景。


左の写真は、岩山の周りにある葬祭の関連施設跡越しに見た左側のダフメ。


下の写真は登る人が多い右側のダフメで、周りには通夜の場などに用いられた施設跡が点在する。
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by toshinac | 2016-04-27 11:45 | trip photos

イスファハーン(3)/四半世紀前のイラン

アバシ(アッバースィー)ホテル
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ホテルのもとの姿は、サファヴィー朝最後の王、シャー・スルタン・フサイン(在位1694~1722)が母のために建てたとされるモスク兼用のマドラサ(神学校)に、キャラバンサライやバザールが併設された複合施設マーダル・イ・シャー(1706~1714)で、チャハルバーグ(四分庭園)の中庭が美しく、サファヴィー朝の最後を飾る建築の一つとされている。ホテルはかつてのキャラバンサライを改修増築したもので、現在ではイスファハーンの最高級ホテルの一つになっているらしい。
上の写真は中庭からの眺め。下はマーダル・イ・シャーの平面図(日本建築学会編:東洋建築史図集より)。
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ハージュ橋
イスファハーンの街中を流れるザーヤンデ川に架かる石と煉瓦の2層構造のアーチ橋で、15世紀後半に基盤を持つ古い橋の遺構の上に、シャー・アッパース2世によって、1650年~1655年頃構築されたものとされている。全長132mのハージュ橋の上部は人道橋で、両側が壁で仕切られたバルコニー状の回廊になっており、アーチが連続する外観はマドラサやキャラバンサライを想わせる。下部は橋脚の間に21の流水路が設けられ、そこに堰板を嵌め込んで上流側の水位を調整し、灌漑や首都の水路網に水を供給するためのダムの役目も果たしている。ハージュ橋は、人が渡る機能に憩いの場を取り入れた治水建造物である。 
下の写真は、橋の上流側(上)と下流側(下)。橋の両端と中央には、かつて王侯貴族の憩いの場でもあったという望楼が付く。
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吉田正春の「回探検疆ペルシャの旅」では、楼閣ある長橋としての記述がある。「橋の長さは百間乃至百四・五十間もあらん。その構造は磚石にて畳み揚げ、円形に勾配をつけ、幅の広さは十二・三間もあらん、中には一条の通路なれど、その左右は廻廊を置き、半月形の窓牖(そうゆう)を設け、その外辺には彫欄を繞らし、これを飾れる瓦は青磁の如きまた金襴焼きの如き種々の彩色を染め出し、所々の金色の剥げ残りたるなど、昔を忍ぶ潤沢は画も及ばじと思うばかりなり。」と、その壮麗さを記しているが、一方で、「然れども年経しままに修理も加えねば、所々に欠陥の傷多く、塵埃に埋まり、心なき人は羊を駈り驢を馳せその上を踏みならす有様、そぞろに旅客をして空しく懐古の念を逞しゅうせしむ。」と、荒れた状態を憂えている。1873年に橋の修理が行われたらしいが、吉田正春が訪れた年は1880年、僅か7年で荒れてしまうような時世だったということか。
下の写真左上は、馬や荷車用と歩道が分離された中央部分で、両側の壁の向こうが回廊になっている。
左下は回廊部分。下の写真右は流水路に設けられたテラス。人々が思い思いの時を過ごすことができる場所となっている。
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ヴァーンク教会
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e0116578_14211415.jpgザーヤンデ川の南にあるジョルファ地区は、シャー・アッパース1世が新首都の発展をめざして優れたアルメニア人の職人や商人を北方から移住させた地域で、宗教の自由とアルメニア人コミュニティが現在でも認められている特別な地区。
地区内には13のアルメニア正教会があり、ヴァーンク教会はその中の一つで1605年に創建されているが、現在の教会は1655年に再建されたものだそうである。

上の写真は、ドームや壁のアーチなどペルシャの伝統様式との融合を図っているが、ドームの頂には十字架が付き、聖堂内部(左の写真)には聖書に登場する場面の描写など具象的な表現も多く見られる。









路地
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e0116578_14262535.jpgイマーム・モスクの裏にあたる市街地で、ダラン・タリックと呼ばれる地区を訪れた。
ダランは「通り」で、タリックは「暗い」を意味するそうである。中庭を持つ住居の外壁と外壁の間が通りになっていることが一般的で、雰囲気は路地に近く、各住居への長いアプローチとも考えられる。
通りには、そのつくられ方によってそれぞれ呼び名があり、覆われた狭い通路をダラン、覆われた広い通路をゴザール、上がオープンの通路をクーチェと呼ぶそうである。

上の写真はダランと呼ばれる路地。
左側上の写真は路地(クーチェ?)で憩う老人と周りに集まった子供達。
左側下の写真は路地に面した小さなお店の婦人と子供。

下の写真はモスク裏の路地。クーチェと呼ぶのかは確かめていない。
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by toshinac | 2016-04-13 14:31 | trip photos