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マスレー/四半世紀前のイラン

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イラン北部カスピ海近くの山岳地帯にあるマスレー村は、急峻な斜面に家屋が階段状に張り付き、各家屋の陸屋根がそのまま上のレベルの道路や広場として使われるという、極めて珍しい景観を見せてくれる小さな集落である。1990年4月、「ペルシャ建築・集落・都市視察団」の旅も終焉に近づいたシーラーズのホテルで、壁に貼られたマスレーの集落写真に魅せられ、シーラーズの視察を短縮してマスレー行を提案し、団員の賛同とイラン側担当者の快諾を得て、急遽日程を変更してのマスレー行となった。テヘランまでの飛行便の変更と、マスレーまでのバスとホテルの確保と、旅行社にはかなり無理なお願いを聞き入れて頂いたのを覚えている。
上の写真は、村の入口にあたる集落の一番下から上方を眺める。石と木と日干煉瓦で造られた家屋は、そのほとんどが土壁塗りの2~3階建て。遠見では、世界中どこでも見られる急峻な斜面に建つ集落景観との差異はさほど感じない。
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e0116578_1112633.jpg当時のマスレー村は、土産物を売るお店は数軒あったが、お茶が飲める店は集落入口近くの1軒のみ。観光客の姿もほとんど見られない静かで落ち着いた印象で、むしろ私達視察団を眺める村人の方が多いのでは?と思うほどであった。イランの旅から帰った2ヶ月後の1990年6月、イラン北部一帯を襲った大地震で、マスレー村も相当な被害を被ったという情報に接し、果して復興は叶うのだろうかと心配したものである。現在では特異な景観を呈する村として広く知られるところとなり、多くの観光客で賑わっているという。
上の写真はこれぞマスレー村の特異なところ。屋根の下に見る集落のメイン通りを、広場にできた裂け目の中に見るような不思議。左の写真はメイン通りを上層の広場から見る。下の写真は、下の通りを跨ぐ橋状の通路越しに上層の家屋を見る。いまでは多くの観光客が押し寄せていると聞くが、この状態は保たれているのだろうか?・・・気になるところ。さらに下の写真はGoogle Earthで見た現在のマスレー村。道路網がかなり整備されているとこらからも、観光地化が進んでいる様子がよくわかる。
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by toshinac | 2016-06-22 11:04 | trip photos

シーラーズ/四半世紀前のイラン

テヘランから南に直線距離で700km余りのザグロス山脈中に位置するシーラーズは、標高1500mほどの高原都市。北東約60kmの所にあるペルセポリスが、古代ペルシャ帝国アケメネス朝(B.C.550~330)の王宮だった頃には小さな村でしかなかったが、ウマイヤ朝(イスラム史上最初の世襲王朝:661~750)の7世紀末ごろ、イラク総督ハッジャージュ・ブン・ユースフの従兄弟、ムハンマド・ブン・カーシム将軍によって町が建設されたとされている。
10世紀にはブワイワ朝(932~1062)地方政権の首都となり、市壁や宮殿、病院や図書館などの整備がされたらしいが、その後セルジューク王朝(1038~1157)やホラズム王朝(1077~1231)の領地となり、さらにモンゴルやティムールの占領下になるなど目まぐるしい変遷を辿り、やがてサファヴィー朝(1501~1736)の支配下になると、都イスファハーンと同じくアッパース1世により街は整備され、シーラーズは発展のピークを向かえたという。
しかしサファヴィー朝が衰退すると再び混乱期となり、町の破壊は進んでしまうが、18世紀後半、カーリム・ハーン(1705~1779:ザンド朝の創始者で、イランの歴史上有数の統治者と評価され「大王」と称されている。)によってザンド朝の都と定められ、市壁や灌漑施設が整備され、建築物の改修・再建がなされてバザールも整えられ、シーラーズは繁栄を取り戻すが、カーリム・ハーンの没後は僅か15年で王朝は滅亡し、カジャール朝(1796~1925)の時代となり首都はテヘランに遷都。
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e0116578_13575944.jpgパフラヴィー朝(1925~1979)の時代には、シーラーズを「イランのパリ」にするというレザー・シャーの考えから大金が投じられ、イランの中でも特に近代的な都市となるが、1979年のイラン革命後は、パフラヴィー時代の退廃の象徴とみなされ、革命政府からは重要視されない都市となっていた。

上の写真はシーラーズ市街。訪れた1990年当時は、パフラヴィー時代に着工されたと思われる、放置された未完の建築現場を数多く目にした。







左の写真は、カーリム・ハーンによって整備されたレンガ積アーチが特徴的なワキール・バザール。

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上の写真はエラム庭園。数々の美しい庭園がある都市として知られるシーラーズで、特に有名なエラム庭園は、イランを代表するペルシャ式庭園の一つとして2011年に世界遺産登録されている。歴史は古く、セルジューク朝の時代まで遡るとされているが、現在に見る庭や建物は、主にカジャール朝時代の造園と建築ということである。
下の写真は、庭園の中心的な18世紀の建物で、漆喰と色鮮やかなモザイクタイルの装飾が美しい。設計はハジ・モハマド・ハッサンという建築家。現在エラム庭園はシーラーズ大学が保有する博物館となっている。
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下の写真2葉はカヴァーム園。オレンジの木が多く植えられていることから、ナーレンジェスターン庭園とも呼ばれているカジャール朝の庭園と建築。もともとはカズヴィン(テヘランの北西150kmに位置するサファヴィー朝の都)の商人であったが交易で財を成し、ザンド朝、カジャール朝の時代には政府に影響を与えるほどの名家であったカヴァーム家の邸宅。
パフラヴィー朝の1966年にはシーラーズ大学に管理が委ねられ、アジア研究所として利用され、1999年にはシーラーズ大学建築・芸術学部に委ねられて一般公開されている。
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ペルセポリス
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古代ペルシャ帝国の都であるペルセポリスは、アケメネス朝ペルシャのダレイオス1世(ダリウス1世:B.C.522~B.C.486)が新しい首都としてB.C.520年頃建設を始め、その後歴代の王により増改築が継続した都。帝国の行政府としての中心であったもう一つの都スーサ(現在のフージスターン州シューシュにある都市遺跡)と違い、ペルセポリスは王の儀式や祭事を行う神聖な役割を持つ都、いわゆる聖都であった。通説では、B.C.330年古代マケドニア王国のアレクサンドロス大王によってペルシャ帝国は滅ぼされ、ペルセポリスも廃都と化したとされている。その遺構は、人類の歴史上重要な時代を例証するものとして、1979年に世界遺産登録されている。
上の写真は、ペルセポリス全景を背後の岩山クーフ・アッラフマト(慈悲の山)から眺めたもの。岩山の西北の麓を削平し、一部切石積の擁壁を設けた巨大なテラス(およそ300m×500m)を造り、その上に様々な宮殿が建設された。下の写真は、高さ2.65mの基壇の上に建つ謁見の間(アパダーナ)の柱群と、奥にダイオレス1世の冬の宮殿(タチャラ)を望む。
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上の写真は冬の宮殿。高さ2.41mの基壇上に、約40m×29mの建物が南面して建つ。ペルセポリスで最も古い建物の一つである。
下の写真の左上は、クセルクセス1世によって造られたクセルクセス門(万国の門)。門の東面には人面有翼獣神像が鎮座する。訪れた当時はかなり破損していたが、現在は像も復元され、梁も架け渡されている。左下は門柱の壁に刻まれた古代ペルシャの楔形文字。
下の写真の右上は、イラン航空のシンボルマークにもなっている双頭の鷲像。中央の水平部分に梁が架けられ、屋根を支える柱の柱頭飾りとされている。右下は謁見の間の基壇に刻まれたレリーフの一部。
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by toshinac | 2016-06-05 14:25 | trip photos