works & trip photos     (c)Toshiaki Nakazawa all right reserved.


by toshinac

プロフィールを見る
画像一覧

カテゴリ

全体
trip photos
works
未分類

検索

最新の記事

ブハラ (2)/ウズベキスタン
at 2018-01-01 01:00
ブハラ (1)/ウズベキスタン
at 2017-12-11 11:10
シャフリサブス/ウズベキスタン
at 2017-11-23 14:40
サマルカンド(2) /ウズベ..
at 2017-10-20 11:07
サマルカンド(1) /ウズベ..
at 2017-10-01 08:31

以前の記事

2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月

記事ランキング

画像一覧

<   2017年 09月 ( 1 )   > この月の画像一覧

タシュケント/ウズベキスタン

中央アジアに位置するウズベキスタン共和国は、国境を2回以上超えないと海に達することができないという、いわゆる「二重内陸国」である。したがって、海へ直接つながる国内河川はなく、国土のほとんどは広大な沙漠と険しい山々で占められた乾燥地。古の東西交易のいわゆるシルクロードの北のルート上に、度重なる戦乱を生き抜いた歴史的なオアシス都市が点在する。
下の写真は、タシュケントの旧市街にあるクカルダシュ・マドラサ。16世紀に建てられた神学校で、独立後修復され現在も神学校として活動している。
e0116578_9294138.jpg
首都であるタシュケントは、同国の北東部にあり、天山山脈に源を発するシルダリヤ川支流のチルチク川流域に展開するオアシス都市。町の起こりは紀元前1世紀頃とされ、この地にあった仏教寺院の建築装飾のためインドの工匠が訪れたという話が、中国の史書「魏志」に記されているという。
8世紀のアラブ人に始まり、13世紀初頭にはモンゴルに、14世紀にはティムールに征服されるという、戦乱による荒廃期と隆盛期が繰り返されてきた。ティムール帝国統治下の15世紀後半には幾つかのイスラム寺院や神学校が建設され、さらに16世紀に入ると学芸の隆盛を迎え、詩人、学者、音楽家たちが優遇され多くの信仰上の建物が建設されている。19世紀初めにコーカンド・ハーン国 (18世紀から19世紀前半にかけて中央アジアに栄えたイスラム王朝)の支配下となるが、一方で帝政ロシアとの経済関係も拡大されその影響力が増大し、1865年ロシアに併合された。
e0116578_93213100.jpg

e0116578_9325314.jpg1930年からはウズベク・ソビエト社会主義共和国の首都となり、タシュケントは急速にロシア化が進み、ロシア革命後の旧ソ連時代も通して、中央アジア支配の拠点都市となっていく。1966年の大地震で壊滅的な被害を受けるが、ソ連各地から数万人の労働者が投入され、町は僅か数年でソ連的な近代都市に生まれ変わり、その復興ぶりは社会主義の見本として盛んに宣伝されたという。
ソ連が崩壊した1991年、独立国となったウズベキスタンの首都となる。
上の写真は16世紀に建てられたバラク・ハーン・マドラサ。中庭のバラ園が美しく、ソ連時代から中央アジアのイスラムの本庁が置かれていた。
左の写真は、バラク・ハーン・マドラサの向かい側に建つハステイ・イマーム・モスク(16世紀)の本庁付属の図書館内部。中央の机の上には、最古のコーランといわれるオスマン・クラーン(7世紀)のコピーが展示されている。
下の写真はオスマン・クラーンのコピー。オリジナルは上階の書庫に厳重保管されている。
e0116578_9352135.jpg

アリシェル・ナヴォイ劇場
e0116578_9363882.jpg
アリシェル・ナヴォイ劇場(ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場)は1947年の完成で、設計はロシア・ソビエト連邦の建築家で、赤の広場のレーニン廟の設計者アレクセイ・シューセフ(1873~1949)。第2次大戦後のソ連に抑留されていた旧日本兵の捕虜の中から、建築に適した工兵457人が強制的に派遣され、特殊業務として建設に従事したことで知られる建築。
1966年の大地震で街が全壊したにも関わらず、全くの無傷で避難所として活用されたほどの見事な仕事ぶりは、現在ウズベキスタンで親日感情が高いことの一因とも言われている。

ウズベキスタン工芸博物館
e0116578_9392125.jpg

e0116578_9401920.jpg1907年に建てられたロシア公使の私邸であった博物館は、建物自体が展示品のような美しい装飾が施されている建築である。1927年に国内(ウズベク・ソビエト社会主義共和国)の芸術家が首都タシュケントに集まり展覧会を開催したことが始まりで、以後「ウズベキスタン国立展覧会」として定期的に開催されるようになり、刺繍、彫刻、絨毯、宝石など、展示された多様な美術品が集められて、1937年ウズベキスタン工芸博物館が設立された。1997年にウズベキスタン共和国文化省の管轄下に入り、ウズベキスタン国立応用美術館と改名されている。
上の写真は正面入口。緻密な装飾がポーチを飾る。展示品より建築に目が向いてしまうのは建築好きの性なのか。
左の写真と下の写真は壁・天井が装飾で埋め尽くされた部屋。イスラムの宮殿のような贅を尽くしたかつての居間(下の写真)だが、設えられたミフラーブはメッカとは逆の方向に向いていることなどから、公使が真のイスラム文化の信奉者ではなかったということがよく解る。
e0116578_956319.jpg

toshinacHP
[PR]
by toshinac | 2017-09-09 09:57 | trip photos