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アーメダバード

インド大陸の最も西に位置するグジャラート州の最大の都市アーメダバード(アフマダバード)は、この地域のスルタンであったアフマド・シャー1世によって1411年に建設され、その後イスラムの都市として発展する。16世紀中頃ムガル朝の支配下となるが、宝飾や絨毯などの手工業が盛り交易で繁栄、イギリスの植民地(1818年)下では綿織物工業が発展し、19世紀後半にはインドのマンチェスターと比喩されるほどだったという。また、インド独立の父と言われるマハトマ・ガンディーの、反英独立運動の拠点が置かれた街としても広く知られるところ。建築においても地域の伝統建築とイスラム建築が融合した建物が多く残され、独立後にはル・コルビュジエやルイス・カーンなどによる、モダンデザインの建築も多く建てられているということもあり、建築好きには一度は訪れてみたい魅力的な都市である。
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上の写真は、アフマド・シャーによって建設されたバドラ城域の東側の門“ティン・ダルワーザ”(1415)。新都市の中心として構築され、そこから東に向かう大通り“マニク・チョウク”を造り、通りの南側にジャーミー・マスジド(金曜モスク)、アフマド・シャー自身と王妃の墓廟を、西に向かう軸線上に並べて新都市の核としたとされている。
下の写真はジャーミー・マスジド(1424)礼拝室の中庭側正面で、イスラムのアーチの中に、西インドの伝統建築様式の柱・梁架構を見る。中央アーチの両サイドを飾るシャフトは、上部が失われたかつてのミナレット。さらに下の写真は、柱が林立する礼拝室内部。15のドームを支える柱は総数260本。
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階段井戸
大地の地下深くまで掘られた井戸の底に向かって、トレンチ状の深い溝を掘削し、長い階段を設けて地下水位まで降りる階段井戸は、地下建築としての形式と宗教的な意味を併せもつ聖なる場所であり、涼を求める市民が集う場所でもある。
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e0116578_16175550.jpg上の写真は、アーメダバードの北郊約20kmにあるアダーラジーの階段井戸(1502)。
階段井戸の殆んどは一直線状の平面形だが、ここは東・南・西の三方から階段が降りて踊り場で合流し、さらに北に向う階段で地底に至るという十字型の平面形。
土圧を支える柱・梁の架構が生み出す立体格子が、精緻な彫刻と相まって光と影の幻想空間を演出する。

左の写真は、井戸のシャフト手前にある光を取込む吹き抜けホールで、底は階段状の水槽を設けた沐浴の場であったが、現在は水槽の上に金網が張られている。




下の写真は、アダーラジー階段井戸の地上部。
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下の写真は、アーマダバード市内にあるダーダ・ハリールの階段井戸(1499)で、人々を地下に導く階段通路とホールの見上げ。
その下の写真は地上部。アダーラジー、ターダ・ハリールのどちらも、ヒンドゥの階段井戸を手本にイスラム政権下で造られた階段井戸である。
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繊維業会館
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アーメダバードにあるコルビュジエ作品の一つで、アーメダバードの代表的産業であった繊維業界の会館(1956)である。旧市街の西を流れるサバルマティー川の対岸に建てられた会館は、南北面には開口部を設けず、川に面する東側と西側のみ開放し、奥行のあるブリーズ・ソレイユを設けて日差しを弱め、諸室は半ば外部ともいうべき空間の中に独立することで、建物全体の通風を図るというインドの気候条件を考慮した設計となっている。
上の写真は大通りに面した西側。角度の付いたブリーズ・ソレイユが創りだす陰影と、長い入口スロープが印象的。下の写真は吹放ちで開放感のある入口ホール。ブリーズ・ソレイユの足元に細い排水溝が設けられているが、モンスーンの時期にはホールの床が水浸しになることもあると聞く。
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# by toshinac | 2015-10-24 16:37 | trip photos

ジャイサルメール

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ジョードプルの西300km弱に位置するジャイサルメールは、1156年にバッティ・ラージプート(ラージプートの一氏族)のラワル・ジャイサル王によって築かれた城郭都市で、広大なタール砂漠(世界で8番目の広さ)の真ん中にあるかつての隊商(キャラバン)の中継地。以前は全て城壁に囲まれていたという旧市街の中には、城門をはじめ、交易により財を成した貴族や豪商のハヴェリー(邸宅)が建ちならび、往年のジャイサルメールを彷彿させる風景が広がり、南東側の三角形の台地上(トリクタの丘)には、更に堅固な城壁を回らした王宮が聳える(写真上:Google Earth)。 数世紀前までは東西交易路の拠点として栄えてきたが、英領時代になり、海洋貿易の発展に伴って隊商の交易路は衰退し、ジャイサルメールの栄華も衰え、さらにインド・パキスタンの分離独立(1947)によりルートは分断され、砂漠の中に取り残された辺境の町となる。
下の写真は、町の東側にあるジャイサルメール駅近くから見る城砦。町を見下ろす台地上に築かれた城砦は、砂漠の彼方からも視界に入るジャイサルメールのランドマーク。
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e0116578_11274173.jpg上の写真は城下町(旧市街)から仰ぎ見る城砦。高さの異なる二重の半円形稜堡が連続した城壁は印象的。とくに日没時には、黄土色砂岩で築かれた砦や街が金色に染まることからゴールデンシティの愛称をもつ。




左の写真は、城砦への入口となる城門の一つスーリヤ門。


下の写真は、城砦内の王宮広場に面する19世紀の宮殿“ラージ・マハル”の見上げ。
現在では宮殿博物館・ヘリテージセンターとして一般に開放されている。連続するアーチ状の庇と精緻な透かし彫りや彫刻で装飾された黄土色の外観は、強烈な太陽の光のもとでより一層の輝きを増す。

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上の写真4点は、人々の日常が垣間見える城砦内の風景。上の左右は、迷路のように入り組んだ路地を散策。左下は安宿前の空地で遊ぶ子供達。右下は、観光客目当ての物売りが集うジャイナ教寺院前。
下の写真は、旧市街にあるハヴェリーの中で最大で、最も美しいとされるパトウォンのハヴェリー(1885)。道路に面したファサード全面が、ラージプートの伝統的な意匠ともいえるジャロカーと呼ばれる装飾的な石造の出窓で構成され、その開口部のほとんどに、視線や陽射しを遮って風を通すジャーリ(石の格子細工)が嵌め込まれている。
さらに下の写真は、パトウォンのハヴェリー屋上から眺めた旧市街の民家。
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上の写真は、砂漠の都市ジャイサルメールの、かつて生活用水の供給源となっていたガディサル・タンク(人造湖)に建つパビリオン。トップのGoogle Earth写真に見る、旧市街外側の南に映る貯水池がそれである。下の写真は、ジャイサルメールから西ヘ40km、パキスタンとの国境までは60kmあまりのサム砂丘のサンセット。
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# by toshinac | 2015-10-13 11:50 | trip photos

ジョードプル

ジャイプールから西に約300km、タール砂漠の入口にあるジョードプルは、ラージプートのマールワール (ラージャスターン州中西部の地方名) 王国の首都として造られた町。ラージプート族ラートール家の王ラーオ・ジョーダが、1459年にマンドール (マールワール王国創建時の首都で、ジョードプルの北約10kmに位置する) から遷都。ラーオ・ジョーダによって築かれたことでジョード・プル (ジョーダの町) と呼ばれたこの町は、長さ10kmもの城壁に囲まれた城郭都市。隊商交易の要の町として栄えたジョードプルは、ムガル朝下でも自治権が認められ、大英帝国時代も藩王国として存続したこともあり、地域出身の商人がインド諸都市で活躍し、インド有数の幾つかの商業財団に成長したという。
ちなみにデリーのヒンドゥ―寺院“ラクシュミーナーラーヤン寺院”の財政支援等で知られるビルラー財閥も、マールワールの商人がルーツだそうである。
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上の写真2葉は、120mの岩山の上に、さらに幅24m高さ30mを超える城壁が廻るメヘランガル城。ラーオ・ジョーダによって新都の象徴として築かれた城は、その後増改築が繰り返されてはいるが、ラージャスターンの都市建築特有の力強い美しさは健在。城内には数多くの宮殿が中庭を介して連なり、その多くは博物館として公開されているが、城砦はいまでもマハーラージャが所有しているという。
下の写真は精緻なヒンドゥーの透し彫り装飾が施された宮殿(ジャーンキ・マハル?)の中庭と、王室の一つタハット・マハル。
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下の写真は、メヘランガル城から眺めたコバルトブルーの青が際立つ旧市街。建物の大半が青色に塗られているところから通称“ブルーシティ”とも呼ばれている。
青く塗られた経緯は定かではないが、バラモン階級の居住者が自ら階級色の青を塗ったことが始まりではという説があるが、熱対策とか害虫対策とか諸説紛々。
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e0116578_921667.jpg上の写真は、メヘランガル城の北東1km程の丘上にあるジャスワント・タダ廟(1899)。ジョードプル藩王国の君主として1873年から在位したジャスワント・シン2世 (1838~1895) の廟を遠望。
左の写真は白大理石仕上げの白亜の殿堂を側面から見る。
下の写真は、ジョードプルの新王宮として1944年に完成した、ウマイド・バワン宮殿の遠望と、さらにその下は庭から眺めた宮殿。メヘランガル城の南東5km程の小高い丘の上に建つ宮殿は、マハーラージャ・ウマイド・シン(1903~1947)による領民の貧困救済が目的であったとされている。1929年に着工され完成まで15年という歳月は、多くの雇用を生み出したことは確かだろう。
英国の建築家ヘンリー・ランチェスター (1863~1953:イギリスの都市計画家で、おもに英国統治の植民地で都市コンサルタントをつとめる) の設計で、部屋数が347室という大規模な建築は、現在は大半が宮殿ホテルとなっているが、一部はマハーラージャ一族の住まいとなっている。
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# by toshinac | 2015-09-27 09:14 | trip photos

ウダイプル

ムガル朝の攻撃を受けて、チットールガルを追われたメーワール(ラージプート族の中でも、とりわけ気位の高いシショディア氏族)の王ウダイ・シング(在位:1537~1572)は、チットールガルから西に約110km離れた、標高600mほどの山間の地に新しい都を築いた。川を堰き止めて2つの大きな人造湖を造り、水源の確保と町の防御を固めたとされる現在のウダイプルである。
ムガル帝国の強大な力に屈することなく抵抗し続け、後の英領下にあってもメーワール王国の首都として存続した町は、歴代の君主によって築かれた宮殿をはじめとする歴史的建造物も多く、乾燥したラージャスターンには珍しく、水際の景観が美しい町である。
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e0116578_9103784.jpg上の写真は、ピチョーラ湖に浮かぶ白亜のタージレイクパレス。18世紀、メーワールの君主ジャガト・シング2世(在位:1734~1751)によって建てられた夏の離宮が改装され、湖上の宮殿ホテル(1971年)として生まれ変わり、インドでも最上級ホテルの一つに数えられるほど。
ちなみに、オールドファンには懐かしい映画007シリーズ「オクトパシー」のロケ地でもある。


左の写真は、シティ・パレスの飾り窓から眺めた湖上の離宮。




下の写真は、対岸のシティ・パレスをレイクパレスの船着き場近くから眺めたもの。
おとずれた時は湖の水位が上がり、船着き場に近いホテルのテラスが冠水状態。

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e0116578_9373769.jpg上の写真は、ピチョーラ湖畔に雄大な姿を見せるシティ・パレス。
ウダイ・シング王によって16世紀から始まった宮殿の造営は、その後も歴代の王による増築が重ねられたことで、壮大な宮殿建築の複合体が造りだされた。宮殿は二つのホテルと一部博物館として開放されているが、現在も立ち入ることが許されないマハーラージャの居住部分がある。



左の写真は博物館エリアの中庭。







下の写真はシティ・パレスのフロントサイドと、更に下の写真は宮殿上階から旧市街を見る。
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下の写真は、牛も店番に加わっているような、いかにもインドらしい旧市街の一角。神聖視されるインドの牛だが、近年は街中で見ることは徐々に少なくなっているらしい。
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# by toshinac | 2015-09-08 09:44 | trip photos

チットールガル城砦

中世に北西インドを席巻したイスラム軍に対し、頑なに抵抗したメーワール王国(ラージプート族の一氏族)の都であったチットールガルは、ジャイプルの南西250km程に位置する城塞都市。切り立つ崖に囲まれた細長い丘上には、複数の宮殿や寺院等が築かれ栄華を誇っていたが、14世紀以降3度に亘るイスラム軍の猛攻に遭い、1567年ついに陥落、都城は放棄された。ここは勇猛果敢に戦ったラージプート族の激戦の記憶をいまに留める城砦である。
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上の写真は、15世紀の王ラーナ・クンバが戦勝を記念して建てた9層、高さ37.19mの勝利の塔( ヴィジャイ・スタンバ:1448 )。
塔の内外全面にヒンドゥ教の神像が配され、中央の螺旋階段とその外側を廻る階段を交互に上り下りするという、二重螺旋とも違う不思議な構成の階段を持つインドでも珍しい塔建築である。
下の写真は、砦の西側中央付近からヒンドゥのカーリカー・マータ寺院( 8世紀頃の創建で1568年に再建されたものだそうである )越しに南を望む。さらに下の写真は、ヒンドゥ寺院に付属するナンディー堂(シヴァ神に仕える雄牛ナンディーを祀った祠堂)。
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下の写真は、砦の南にある遺構パドミニ宮殿の貯水池の中に建つ館。
平地から150mを超える高い丘上にある城砦だが、モンスーンの時期には大量の雨が降る地域ということもあり貯水池が非常に多く、その数はなんと84ヶ所に及ぶ。貴重な生活用水が確保される城砦内には、多い時で35000人もの人が住んでいたという。
北インドを支配していたハルジ―朝の第3代スルタン、アラー・ウッディーン・ハルジ (1296?~1316)は、1303年には西インドのヒンドゥ諸国を平定しているが、伝説では、ときのメーワール国王ラタン・シンの妻パドミニ王女への横恋慕が、チットールガル攻撃の原因という説がある。
1302年スルタン軍に攻め込まれ城砦が陥落すると、美しい王女パドミニ( インドの観光キャッチ・フレーズでは、ラージャスターン州のクレオパトラと言われている )と宮殿の女達は火中に身を投げ、自ら死を選んだという悲しい物語の舞台。
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# by toshinac | 2015-08-29 10:18 | trip photos

チャンド・バオリ

チャンド・バオリ(9世紀)は、ラージャスターン州の州都ジャイプルから東に90km程に位置する町バンディクイの、南6kmにある小さな村アーバーネリーにある階段池(クンダ)。寺院の貯水槽という意味を持つクンダは、渇水期の水を確保する為の施設というだけでなく、水への信仰を持つインド文化の伝統が創りだす聖なる場所でもある。特に乾燥した西インド地方に多く見られ、その起源は紀元前の古代インドにおけるバラモン教の水神信仰に求めることができるという。
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e0116578_805126.jpg上と左の写真は、地下7層に及ぶクンダの、階段で構成された三方に対峙するもう一方の複数層にわたって配された部屋。
上層部のアーチを持つ部屋はムガル朝のものだが、下層の祠に見る装飾はヒンドゥのものである。










下の写真は最上階のホールでクンダ最上部に抜ける。
さらに下の写真はクンダ最上階を巡る回廊よりクンダを見る。
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下の写真はアーバーネリー村の衛星写真(Google Earth)。集落西側に約35m四方のクンダとそれを取巻く回廊屋根からなるチャンド・バオリを見る。その西側に見る矩形は、クンダとの関係があった9世紀のハルシャ・マーター寺院跡。
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# by toshinac | 2015-08-20 08:07 | trip photos

アンベール城

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アンベール城は、ジャイプルに遷都(1727年)される以前の、アンベール王国(ラージプート族のカチワーハ家の王国)の首都に築かれた城郭建築で、ジャイプルの北東11kmの山間にある。11世紀頃この地を支配するようになったカチワーハ家により拡張され始め、16世紀初頭から城郭としての大規模な建設が始まり、その後歴代の王による増改築なされ、17世紀のジャイ・シング1世の時代にほぼ現在の姿になったようである。ムガル帝国との同盟関係という背景もあり、宮殿はイスラムとラージプートの伝統様式で造られており、随所に施された精緻な装飾が華やかな王宮の生活を偲ばせる。かつてマハーラージャに限られていた象に乗っての入城が、いまでは観光客が象の背で、ゆらりゆらりとマハーラージャ気分。
上の写真は、ジャイプルに続く道アマー・ロードから、城の水の供給源であるマオタ湖(人造湖)越しに望むアンベール城。
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e0116578_9403788.jpg上の写真2葉の上は、宮殿入口のガネーシャ門がある宮殿前広場。右にガネーシャ門、左に公謁殿(ディワーニ・アーム)。上の下は公謁殿から眺めたガネーシャ門。華やかに彩られたイワーン奥の入口アーチの上部には、ヒンドゥーのガネーシャ神が描かれている。

左の写真上は、宮殿上階から眺めた山上のジャイガール城塞(11世紀)と長大な城壁。アンベール城が築かれるまでは、ジャイガール城塞がマハーラージャの居城であった。左の写真下はアンベール城の麓に展開するアメールの町。

下の写真は、ジャイ・シング1世によって1639年に建設されたマハーラージャの私邸(内殿)ジャイ・マンディル殿(勝利の間)と、ムガル様式の中庭アルマ・バーグ(歓喜の庭園)を見る。
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# by toshinac | 2015-08-06 09:44 | trip photos

ジャイプル

デリーの南西約230kmに位置するラージャスターン州の州都ジャイプルは、ムガル帝国のマハーラージャ(地方領主)であったサワイ・ジャン・シング2世(在位1699~1743)によって築かれた計画都市。アウラングゼーブ帝(ムガル朝第6代皇帝)没後の帝国混乱を機に独立性を高め、これまでの居城であったアンベール城から、11km南西のこの地に都城を築いて遷都(1727年)し、自らの名をとってジャイプル(城壁に囲まれたジャイの町)と名づけた。周囲に城壁を廻らし、中央に王宮を置き、碁盤目状の街路で整然と区画割された街が現在のジャイプル旧市街である。旧市街の街路に面する建物が、城壁の赤砂岩の色に合わせてすべて淡紅色に塗られているため、別名ピンク・シティとも呼ばれている。いまでは城壁南西側に新市街が形成され、2006年に開かれた空路も、今年中には滑走路が延長され、大型機の発着も可能になるなど、インド最大州の州都として発展をみせている。下の写真は、淡紅色の建物が連なる旧市街。
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ハワ・マハル(風の宮殿)
ジャイプル観光の目玉の一つでもあるハワ・マハルは、ジャイプルの5代目マハーラージャであったサワイ・プラタプ・シンによって、1799年に建設された赤砂岩で彩られた後宮。大通りに面したファサードは、石の透かし彫りスクリーンの付いた張出し窓を全面に配した堂々たる構成だが、奥行が極めて浅く厚みのない特異な建築形態である。イスラムの習慣上、通りを歩くこともままならぬ宮廷の子女達が、外から姿を見られず通りを眺めるための、目隠し付きの涼み台のような場所で、宮殿とは細い通路で結ばれている。
下の写真は、通りをはさんで見るハワ・マハルの華麗なファサードと、建物の薄さが解る斜からの眺め。
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ジャンタル・マンタル(天文観側施設)
天文学にも造脂が深かったサワイ・ジャン・シング2世は、インド各地に天文観測施設を造ったが、その集大成がジャイプルの宮廷地区の一画にあるジャンタル・マンタルである。中世イスラム世界有数の天文台とされるサマルカンドのウルグ・ベグ天文台が原型とされ、日時計をはじめ、太陽や月の高度と角度や、惑星の位置や星座などを観測するための装置が、レンガやコンクリートなどで構築されている。その造形は一見すると現代的な野外彫刻展を想わせる。
下の写真左側上下は、高さ27mの巨大な日時計サムラート・ヤントラ。
右上は、12星座を見る観測装置ラーシ・ヴァラヤ・ヤントラの中の一つ。
右下は太陽や月の高度・角度などを観測する装置ラーム・ヤントラ。
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シティ・パレス
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サワイ・ジャン・シング2世がアンベール城から移り住んだ宮殿(1733年)は、別名チャンドラ・マハル(月の宮殿)とも呼ばれ旧市街の中心にある。大小の中庭を持つ建物群の連続で構成される宮殿には、現在もマハーラージャの子孫が住んでおり、その住居以外は宮殿博物館として一般に公開されている。
上の写真は、白大理石で造られた7階建宮殿の中庭側からの見上げ。
下の写真は宮殿の回廊から中庭を見る。
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ジャル・マハル(水の宮殿)
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旧市街から北東5kmほどにあるマン・サガール湖 (ジャル・マハル湖) の中央に建つジャル・マハル宮殿は、明確な建設時期は解っていないが、当初はマハーラージャの狩猟用の館という説があり、後にサワイ・ジャン・シング2世によって改修され、涼をもとめる夏の離宮として使用されてきた。雨季と乾季では湖の水位が極端に変化することもあり、最も水位が上がったときには、5階建ての宮殿の最上階のみ水面上に見ることもあるという。ジャイプルから、アンベール城に向かう道程で必ず目にする宮殿だが、残念ながら一般公開はされていない。上の写真は、3階まで水位があがった状態のジャル・マハル。

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# by toshinac | 2015-07-24 13:12 | trip photos