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サマルカンド(1) /ウズベキスタン

首都タシュケントの南西約300kmに位置するサマルカンドは、かつてシルクロードの中心的なオアシス都市として栄えた中央アジア最古の都市の一つであり、青空とモスクのブルータイルの美しさから“青の都”とも呼ばれる世界遺産の都市。
始まりはソグディアナ(中央アジアを流れるザラフシャン川を中心とする地域の呼称で、イラン系ソグド人の住地)のオアシス都市として成立した紀元前5世紀頃とされている。7世紀の後半以降アラブ軍の組織的侵入がはじまり、714年、クタイバ・イブン・ムスリム将軍(ウマイヤ朝カリフ国に仕えたアラブ人の軍人 669~716)によって、サマルカンドを中心とする一帯は征服され、中央アジアにイスラム教が根付く起因になったという。それでも商才と工芸技術に長けたソグド人は、様々な王朝の支配を受けながらも数世紀にわたって営々とサマルカンドを築き上げてきたが、1220年、サマルカンドはチンギス・ハーン率いるモンゴル軍によって壊滅的に破壊され廃墟と化す。
下の写真は、当時の中心地があった現在のアフラシャブの丘。破壊された城壁や家屋の日干し煉瓦が、そのまま風化したのであろうと想わせる茫漠たる地表に、少ない水を求めて生えるラクダ草がもの悲しく映る。
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14世紀の前半頃になると、サマルカンド近郊のキシュ(現在のシャフリサブス)出身の英雄ティムール(ティムール朝の建国者:1336~1405)によって、かつての中心部に接する地域に新しい市街が形成されてサマルカンドは甦り、1369年ティムールの世界帝国の首都となる。
彼は帝国各地から遠征の度に連れ帰った工匠や職人たちを使って壮大な建築を次々と建造し、イスラム世界でも名高い都市に復興して繁栄を極めたのである。しかし、1501年ティムール朝は内紛から滅亡し、権力はウズベク族のシャイバーニ朝に移り、首都がブハラに遷都(1557年)されるとサマルカンドの政治的な地位は低下した。
そして1868年帝政ロシアに占領され、ソビエト連邦時代の1924年、民族的境界画定により、ウズベク・ソビエト社会主義共和国に区分され、1930年までその首都となっていた。独立後の現在、サマルカンドは首都タシュケントと並んでウズベキスタンの経済・文化の中心地となっている。

レギスタン広場
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モンゴル軍によって壊滅したかつての中心部(アフラシャブの丘)から移った、新しい市街の中心であったレギスタン(砂地の意)広場は、3辺を、ウルグ・ベク・マドラサ、シェル・ドル・マドラサ、ティリヤ・カリ・マドラサの壮麗なファサードで占められたモニュメンタルな都市空間。上の写真の広場西側(左)がウルグ・ベク・マドラサ、北側(中央)がティリヤ・カリ・マドラサ、東側(右)がシェル・ドル・マドラサである。

ウルグ・ベク・マドラサ
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ティムールの孫で、ティムール朝の第4代君主であるウルグ・ベクによって1420年に建てられた神学校で、天文学者でもあったウルグ・ベク自身も教鞭を執ったとされ、彼の嗜好を反映した星空を表わす幾何学模様が、広場に面する正面のイワーン上部を飾る。(写真上)
下の写真は、中庭を介して正面入口の軸線上にあるイワーンを中心に、アーチが連なるフジュラ(学生のための寄宿舎)を見る。マドラサの構成は、中庭を囲む4面の中央にイワーンが配置された、いわゆるチャハル・イワーンの形式である。
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シェル・ドル・マドラサ
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17世紀、この地を支配したウズベク族の領主ヤラングトゥシュ・バハディルによって、1619年~1631年にかけて建設された神学校で、ウルグ・ベク・マドラサに相対して、ほぼ同規模で同じ構成で造られている。特筆すべきは、正面イワーンの壁面上部に動物と人面のある太陽が描かれていることである。
本来イスラムの文様に人や動物の姿がモチーフとなることは、偶像崇拝を否定する立場からありえない。だが支配者ヤラングトゥシュが自分の権力を誇示するためあえて禁をやぶり、人面の太陽を背景に、鹿を追うライオンの鬣(たてがみ)を付けた虎が描かれているのである。しかしシェル・ドルとはライオンの意味ということなので、虎ではなくライオンか?、何れにしても、この模様は動物界の王と天体の王とが一つに合体したことを表現しているという。(写真上)
下の写真は正面の裏側を中庭から見る。さらに下の写真はシェル・ドル・マドラサとウルグ・ベク・マドラサの南東側からの眺め。
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ティリヤ・カリ・マドラサ
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晩年のヤラングトゥシュによって1647年~1661年にかけて建設されたモスクを兼ねた神学校で、礼拝所の内部装飾に金箔が使われていることからティリヤ・カリ(鍍金された)・マドラサと呼ばれている。
上の写真はティリヤ・カリ・マドラサ正面。広場の全体的な展望のもとに設計されているが、厳密な左右対称ではなく、43m四方の中庭を囲むフジュラは3方のみで、西側(写真の左側)には広いモスクが造られている。下の写真はモスクの礼拝所。モスクのドームは一般的には二重殻であり、内側はある程度半球状になることが多いが、ここはドーム状には見えるがほとんど平らな天井である。数段のムカルナス装飾で正方形から八角形、十六角形、そして円形の天井へと視覚を移行させ、焦点を持つ遠近法の模様がドーム状の天井を創出している。
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ウルグ・ベク天文台
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e0116578_1773296.jpg天文学研究の中心地として、最盛期には60人~70人の天文学者が研究を行っていたというウルグ・ベク・マドラサの天文学研究をサポートするため、天文学者でもあったウルグ・ベクは、1924年天文台の建設を開始して1429年に完成させ、ここでの天体観測をもとにいわゆる“ウルグ・ベク恒星表”を作成。1449年のウルグ・ベクの死後、天文台は保守系のイスラム教徒によって破壊されて荒廃し、所在地さえも分からなくなっていたが、今世紀初頭、アフラシャブの丘から北東に1kmチュバン・アタという丘の上で発見、発掘されたのである。

上の写真は、円い基礎と六分儀の地下部分のみ残る天文台の跡。直径約48mの円筒形の建物で、最深部から約40mあったと推定されている。


左の写真は六分儀の地下遺構。巨大な六分儀の円弧をおさめるため地下深く掘り下げられた岩盤。六分儀の57°から90°までが遺っている部分だそうである。


荒廃したサマルカンドを甦えらせた祖父ティムールの英雄的行動と、君主でありながら自ら教鞭をとり、学者として活躍したウルグ・ベクの非凡な才能なくしては、“青の都サマルカンド”はあり得なかったと語られる。

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by toshinac | 2017-10-01 08:31 | trip photos