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イスタンブール1/トルコ共和国

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トルコ共和国の西部に位置するイスタンブールは、アジアとヨーロッパの2つの大陸にまたがるトルコ最大の都市。黒海とアルマラ海をつなぐボスポラス海峡が市の中心を貫き、アルマラ海からヨーロッパ大陸側に角のように切り込んだ細長い金角湾(トルコ語でハリチ)の両岸には、ローマ帝国、東ローマ帝国(ビザンティン)、オスマン帝国(1299年オスマン1世が建国したトルコ系イスラム国家)という、3代続いた大帝国の繁栄を物語る名所・旧跡が展開する。上の写真は、ガラタ塔より眺めた朝もやの金角湾。スレイマニエ・モスクのドームとミナレットを見る。
この地で最初に都市が成立(B.C.660年)したのは、古代ギリシヤ時代の都市国家ビザンティオンで、金角湾の南側、アルマラ海に突き出た岬の先端に広がる丘陵に築かれた。現在のトプカピ宮殿が建つ場所である。B.C.201年にローマの同盟都市となるが、196年にはローマの支配下に置かれ、330年にコンスタンティヌス大帝(初めてキリスト教を公認し、これに改宗した皇帝)によってローマ帝国東方領の主都と定められ、コンスタンティノープルと呼ばれることとなる。
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e0116578_904164.jpg395年における東西ローマの分裂後は東ローマ帝国の首都として繁栄し、5世紀以降には人口100万を数える時期もあったという。
上の写真はヴァレンス水道橋。378年に完成したとされるローマ帝国の遺構。イスタンブール旧市街のほぼ中央にあり、北西郊外の水源から旧市街東部にある、東ローマ帝国の大貯水槽バシリカ・シスタン(通称地下宮殿)へと導く役割を果していたのではとされている。



左と下の写真はその地下宮殿バシリカ・シスタン。長さ138m、幅65m、高さ9mという地下の貯水槽空間は、330本を超える大理石円柱と煉瓦造の交差ヴォールトで支えられているが、円柱の3割ほどは古代の建築廃材が再利用され、左の写真のように、メデューサの顔が彫られた古代の石塊が土台に使用されたりしている。
映画007の「ロシアより愛をこめて」の撮影場所に使われた。
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長く続いた東ローマ帝国の繁栄も、11世紀頃から地中海貿易で進出してきたベネチア人やジェノバ人の勢力に帝国の商業と財政が支配されると、町の隆盛は徐々に失われ、オスマン帝国に征服された1453年には5万人を割るほどの人口だったと言われている。
オスマン帝国のメフメット2世(在位1451~1481)は、征服後ただちにハギア・ソフィア大聖堂(アヤ・ソフィア)をはじめ多くの教会をモスクに変えるとともに、1457年以降オスマン帝国の首都として、町の名をイスタンブールと改めた。また近隣の国々から多くの人々を移住させ、モスク、バザール、キャラバン・サライ、学校、病院などの社会施設を整え、さらに中央アジアのサマルカンドや西アジア各地から商人、学者、文人の移住が相次ぎ、16世紀中頃には人口50万人に達する大都市として復活、スレイマン1世(在位1520~1566)の時期に最盛期を迎え、東西、南北に及ぶ国際貿易の拠点として栄華を極める。
下の写真は、メフメット2世(オスマン帝国の第7代皇帝)がコンスタンティノープルを攻略中の1452年に造営し、攻略の拠点となったルメリ・ヒサールの城塞。
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17世紀に入ると、東ローマ帝国の時代からイタリア人商人の居留地であった金角湾北岸のガラタ地区には、イギリス、フランスなどのヨーロッパ諸国が競って領事館を建設し、キリスト教の諸教会も建設されて新市街が形成され、1845年に旧市街と新市街を結ぶガラタ橋が架けられた。
第1次世界大戦後、トルコ人による反帝国主義運動が起こると、イギリスをはじめとする連合国は1930年にイスタンブールを占領、1923年にトルコ共和国が成立すると首都はアンカラに移る。
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上の写真はガラタ橋の遠望と近影。金角湾の架橋では興味深い話がある。1845年に最初の橋が架けられるずっと以前の1503年に、レオナルド・ダ・ヴィンチがバヤズィト2世(オスマン帝国の第8代皇帝)に橋の計画を提案し、計画書を送っていたが実現には至らなかった。また1519年には、かつて架橋計画を売り込もうとしたことがあるミケランジェロの招聘計画もあったらしいが、ミケランジェロがこれを受け入れず、金角湾の架橋は19世紀まで棚上げされたとのこと。ちなみに初代の橋は1922年に焼失し、現在の橋は1994年に架けられたものである。
下の写真は金角湾で釣りに興じる人々。かつてはガラタ橋から釣り糸を垂らして釣ったサバを焼き、パンに挟んだサバ・サンドは金角湾の名物であったが、景観を損ねるということで橋からの釣りは2004年に禁止されている。
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by toshinac | 2018-08-04 09:16 | trip photos