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アタチュルク廟/トルコ共和国

アタチュルク廟は、初代大統領ムスタファ・ケマル・アタチュルク(1881~1938)の霊廟で、トルコ共和国の首都アンカラにある。アナトリア高原の西側に位置するアンカラは、1923年の共和国誕生と同時に首都となり、1928年に市全体を対象とする都市計画の国際コンペが実施され、ドイツ人のヘルマン・ヤンセン(1869~1945:建築家・都市計画家でベルリン大学教授)案が当選し、その後始まった都市整備はヤンセンの案に基づくかたちで実施され、オスマン帝国時代とは違った様相の近代都市をつくりあげてきた。
廟は、B.C.8世紀頃のフリギア人(B.C.12世紀頃ヨーロッパから移住してこの地域を支配し、B.C.8世紀に王国をたてたとされるインド・ヨーロッパ語族の、いまでは死語となっているフリギア語を話す人々。)の古墳があった市街南東部の丘陵地に建っている。1938年アタチュルクの死と同時に廟の建設計画が持ち上がり、建設案は国際建築家連合(UIA)の規定に沿った国際コンペで募られたが、第2次大戦中であったためヨーロッパからの応募は少なく、結果的にはトルコ人建築家エミン・ナオト(1908~1961)とオルハン・アルダ(1911~1999)という2人の連名案が採用され、変更はあったものの基本的なところでは変わりなく1953年に完成した。
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e0116578_15585141.jpgケマル・アタチュルクが、「トルコ人の起源は中世イスラムにあるのではなく、アナトリアの農民にある」と定義づけたことを背景に、全体的にはイスラム色を排除したアナトリアン様式(B.C16~14世紀の古代ヒッタイト帝国時代から新ヒッタイト時代の様式とアンカラ周辺のフリギア美術をまとめて総称したもので、中央アナトリアに見られる古代様式。)のデザインで統一されており、さらに古典回帰や伝統の再現だけでなく、時代の潮流でもあったモダニズムのデザインも随所に見る。
上の写真は夕日に輝くアタチュルク廟。建築に使用されている石材はすべて国内で産出されたものだそうである。
左の写真は廟の主室周りに配された角柱の列柱廊。廟の東北方向に位置する丘上にあるアンカラ城を遥に望む。

下の写真は雨上がりの式典広場から見る廟。コンペの当選案では、廟の上部にレリーフを施した巨大な箱が載るという仰々しいデザインであったが、実施段階では取り除かれた。
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e0116578_1654947.jpg廟の建設計画と同時に大統領の葬儀計画が進められており、祭壇の設計が、当時イスタンブールに在住していたドイツ人建築家ブルーノ・タウト(1880~1938 : 1933年に日本に亡命し、桂離宮の評価で知られるタウトだが、当時の日独関係上しかるべき公職に就くことが難しかったところに、1936年にトルコ政府からの招聘があり転地する。トルコではイスタンブール芸術大学建築学科で教鞭をとり、文部省建設局の主任も兼務。)に委ねられた。タウトは病床の身にありながら祭壇のデザインを一晩で完成させたと言われ、後にアンカラ市から金品の申し出があったが、「最も偉大な人の死に際して、私に恵まれた名誉の仕事のために金を受け取るわけにはいきません」と断ったという、タウトのアタチュルクの対する敬意を表した逸話がある。アタチュルクが亡くなった1938年11月のわずか1ヶ月後、タウトも急逝する。もしタウトが亡くなっていなかったなら、“タウト設計のアタチュルク廟”なんてことがあったかも。上の写真は式典広場を取り囲む列柱回廊。左の写真は石棺が置かれた内部で、地下に納骨堂が設けられている。下の写真は式典広場の回廊から眺めたアンカラ市街。
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by toshinac | 2018-09-17 16:10 | trip photos