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カイロ/エジプト

エジプトの首都カイロはアフリカ大陸最大の都市。ナイル川下流の東岸に位置し、長い時代を通じてイスラム世界の学術・文化・経済の中心都市となってきた。その歴史はおよそ5000年前にまで遡るとされているが、いまのカイロは古代の都市とは直接的な関係はなく、現在のカイロ市街地の南部、かつてバビロンと呼ばれていたオールド・カイロ地区がカイロ発祥の地。
プトレマイオス王朝最後の女王クレオパトラ (在位B.C.51~B.C.30) の時代、ローマ帝国の勢力がエジプトに及び、帝国の属州になるとキリスト教が広まり、5世紀には大キリスト教国 (エジプトのキリスト教はコプト教と呼ばれ、原始キリスト教の一派でギリシア正教に属する) となる。この地域はその中心地であった。
7世紀エジプトに侵攻したイスラム軍は、バビロンを攻略すると城塞の北側にキャンプを設営、アラビア語でテントを意味する「フスタート」と呼ばれた軍事拠点は、その後恒久的な市街地として発展する。
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e0116578_1717579.jpg969年ファーティマ朝 (909~1171:エジプトのシーア派イスラム王朝) がフスタートを占領すると、北部に新都を築いてアル・カーヒラ(勝利の町)と命名。現在のイスラム地区とされている地域で、この時代に多くのモスクや宮殿が建設されている。ちなみにアラビア語のアル・カーヒラがカイロの語源になっている。
上の写真はカイロ市街のイスラム地区南部。写真の中央に、エジプトで現存する最古のモスク、イブン・トゥールーン・モスクを見る。
バグッダトのアッバース朝から独立したムハマド・イブン・トゥールーンが、9世紀半ばにフスタートと後のアル・カーヒラのほぼ中間に新首都カターイを建設し、そこに自分の名を冠したモスクを創建した。
カターイ時代唯一の遺構と言われている。

左の写真はハーン・アル・ハリーリ。
14世紀末に開かれたスーク(市場)で、いまも当時の姿を色濃く残す。





スルタン・ハサン・モスク
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アイユーブ朝 (1169~1250:ファーティマ朝の宰相であったサラディンこと、サラーフ・アッディーンが建国したスンニ派のイスラム王朝) を滅ぼしたマムルーク朝 (1250~1517:エジプト・シリアを支配したスンニ派トルコ系のイスラム王朝。奴隷身分出身の軍人が建国した王朝で、血縁とは無関係な君主の系列が特徴的) の第22代・24代のスルタンであったナースィル・ハサンによって、1356~1362年に建てられたこのモスクは、モスクというよりも、スルタンの廟を併設した4~5階建てのマドラサ(神学校)といった建築である。中庭の四方に巨大なイワーンを開き、南東のイワーン奥にミフラブと説教壇を備え、その奥に高さ55mのドームを頂くスルタンの廟があり、4つのイワーンの間には、スンニ派の伝統的な4学派のマドラサが独立した形で構成されている。
上の写真は、複数のモスクが集まるサラディン広場越しに見るスルタン・ハサン・モスク。
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上の写真左はスルタン・ハサン・モスク平面図 (西洋建築史図集:日本建築学会編より)。右は南西側のイワーンから見た泉亭のある中庭。カイロ一を誇る高さ90mのミナレットが覗く。下の写真は南東側のイワーン。ミフラブと説教壇のある祈りの広間となっており、奥にスルタンの廟がある。一説には、使用されている石材の多くはギザのピラミットから拝借したものと言われているが?
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ムハンマド・アリ・モスク
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ムハンマド・アリ・モスクは、アイユーブ朝の創始者であるサラディンによって建設されたシタデル(城塞)の中に建つ。ムハンマド・アリ (エジプト最後の王朝の始祖:在位1805~1849年。近代国家エジプトの基礎を築いた人物として知られる) の命を受けたイスタンブールの建築家ユスフ・ブッシュナクが、イスタンブールのスルタン・アフメッド・モスクに基づいた計画を策定し、1830年に着工する。
しかしムハンマド・アリが亡くなった1849年の時点では竣工には至らず、後継者の治世中に再開され、サイード・パシャ (在位:1854~1865) が治世中の1857年に終了したという。だが工事に問題があったのか、モスクは傷みが進み危険な状態になったため、1931年、フアード1世 (在位:1922~1936) より完全な修復が命じられ、メインドームやセミドームの解体、元来のデザインに基づく再建、塗装、鍍金などが実施され、1939年、ファールーク1世(在位:1936~1952) のもとで最終的に完成した。
上の写真は、モッカタムの丘に築かれたシタデルの中に聳えるムハンマド・アリ・モスク。
偉容を誇る52mの巨大なドームと、天を突くような82mの2本のミナレットは、カイロ市街のあらゆる場所から目に入る。下の写真は煌びやかなドーム内部と中庭。
中庭の回廊北西部に時計塔が建っているが、ここの時計は1845年にフランスのコンコルド広場に建つオベリスクと交換に、フランス政府から贈られたものだそうである。
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ムハンマド・アリ王朝は1882年のイギリス占領下でも継続されるが、第2次大戦が終わりエジプト革命後の1953年、エジプト共和国の樹立を以て連綿と続いた王朝国家は終焉をむかえる。
下の写真は、新市街を流れる悠久の大河ナイル。古代エジプト文明を育み、「エジプトはナイルの賜物」と称された大河は、アスワン・ハイダムの完成で、いまもエジプトの発展に重要な役割を果している。
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toshinacHP
by toshinac | 2018-12-13 17:40 | trip photos