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北京2/80~90年代の中国

天壇(1981年夏の写真)
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天壇は北京市東城区にある史跡で、明・清時代の皇帝が天を祭り、五穀豊穣を祈願した場所。明代の1420年創建で、当時は天地壇と呼ばれていたが、1530年に現在の規模に拡張されるとともに、1534年に天壇と地壇に分離、以後天壇と呼ばれている。ただし、祈念門・皇乾殿を除けば清代の18世紀以降の建築だそうである。総面積280haという広大な敷地は、天と地を意味する古代の「円天地方」という宇宙観に基づき、北側両隅が円弧で、南側が方形という形になっている。かつては一般人が立ち入れない神聖な場所であったが、現在は天壇公園として開放され、庶民の憩いの場にもなっている。
上の写真は圜丘壇(皇帝が天を祭るための儀式の場)から北を見る。白石門の先に皇穹宇、その先の祈念殿へと、南北軸の直線上に並ぶ天壇の中心部。
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上の写真は天壇のシンボル的な建築で、毎年春の豊穣祈願をするための祈念殿。3層の大理石の基壇上に建ち、上にゆくに従って縮小する青瑠璃瓦の三重屋根は天とのつながりを表わしているという。祈念殿の前身は、1545年に建てられた大享殿で、三重の屋根は上中下をそれぞれ青、黄、緑の三色の瑠璃瓦で葺かれていたが、清代の1751年に修復した際、全て青色の瑠璃瓦に葺き替えられている。その後1889年に落雷で焼失し、1896年に再建された。下の写真は祈念殿の天井見上げ。
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上の写真は、回音壁(壁に向かって話したり音をたてたりすると、100m近く離れた壁にいても聞こえるという、文字通り音が壁を回るという不思議な壁)と呼ばれる半円形の塀越しの皇穹宇。創建は明代の1530年で、清代の1752年に再建されて今の様式となる。もともと「皇天上帝」の神位を置く場所で、圜丘での祭事の時、壇の上に置かれる皇帝の位牌や神具等を収めておく所である。下の写真は皇穹宇の天井見上げ。
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頤和園
北京の中心部から北西に10kmほどの所にある頤和園は、元代以降風光明媚な地区として知られ、明代には富豪の庭園が築かれて西湖と呼ばれていた所。清の乾隆時代に湖を掘り、その土を東岸に積んで堤を築き、北部の山を万寿山、南の湖を昆明湖と改名し、かつて建てられていた圓静寺の跡に大報恩延寿寺を建て、そこに楼閣を造って清漪園(せいいえん)と名付けた。その後1860年、英仏連合軍が侵入した際、清漪園はその大部分を焼失したが、1888年(光緒14年)、慈禧皇太后(西太后)が8年の歳月を費やして再建し、頤和園と改名した。
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e0116578_1643927.jpg上の写真は昆明湖から眺めた万寿山(1981年)。昆明湖拡大のため掘り出された土で築かれた小山で、高さは約59m。中央に頤和園のシンボル的な建築である高さ41mの仏香閣を見る。

左の写真は、金水橋の先に排雲門、そして排雲殿(西太后が清国海軍の経費を流用して建設したとされている。)から仏香閣へとつづく建築群(1981年)。頤和園全体の主軸線を形成している。





下の写真は、仏香閣が建つ基壇上から昆明湖を見晴るかす(1984年)。
真下に排雲殿の屋根、排雲門、先に湖畔の鳥居型の門「雲輝玉宇」牌坊、そして昆明湖の中に十七孔橋で結ばれた南湖島を見る。
さらに下の写真は昆明湖畔に建つ雲輝玉宇牌坊(1981年)。
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e0116578_16544241.jpg左の写真は、万寿山西麓の湖岸に建つ石造りの舟形建築「清晏舫」。石舫とも呼ばれる石船部分は、乾隆帝時代の1755年の建築で、沈むことのない船を、絶対に覆らない王朝の象徴として造られたようである。1860年の英仏連合軍侵略時に上部の中国風艙楼(建物部分)が焼失してしまい、西太后が再建するとき西洋式に変えられたそうである。
艙楼部分は木造で、表面は大理石風模様の塗装が施されている。ちなみに現在は内部には入れないようである。

下の写真は、湖の北畔に沿って東西に延びる長さ728mの長廊。乾隆帝の母親のために雨の日でも湖の散策が楽しめるよう造ったものらしいが、英仏連合軍の侵入時に破壊され、後に西太后によって再建された。長廊の梁や桁には一万四千余りの絵色彩豊かに描かれている。文化大革命時には破壊する命令があったらしいが、当時の管理者が絵の上に白い粉を塗って難を逃れたという話もある。写真は、1977年の文革終結宣言が出されて間もない1981年のものである。
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toshinacHP
by toshinac | 2019-05-21 17:04 | trip photos