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北京3/80~90年代の中国

八達嶺の長城
いわゆる万里の長城は、東は山海関(渤海)を起点として、西は嘉峪関(甘粛省)に至る、中国古代の重要な軍事施設。紀元前5世紀の戦国時代に、匈奴(北方騎馬民族)の騒乱を防ぐために創建された。秦代には、西は臨洮(甘粛省)より東は遼東(遼寧省南部)まで形成され、以降各時代にわたり絶えず増築が続けられ、明代になって現在の姿になったという。主要部だけでも約3,000kmに達し、総延長はなんと12,000kmにも及び、人類がつくりあげた世界最大の建造物とも言われている。
中国には“長城に行かなければ男じゃない”「不到長城非好漢」という言葉があるそうな・・・?
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e0116578_1061710.jpg八達嶺の長城は北京の北西約70kmにあり、明代に竣工した長城の一部が最も完璧に保存されているところ。磚(大型の煉瓦)造の城壁の高さは平均7~8m、場所によっては14mに及ぶところもある。上部は幅5.8mで、5~6頭の馬や10人の兵士が並進することができるといい、250mから500mおきに戦闘時の拠点となる敵台が設けられている。
近年は、八達嶺長城のあまりの混雑に、八達嶺長城のやや東に位置する慕田峪長城が観光客の人気を集めているらしい。


上と左の写真は、1982年冬に撮影した八達嶺の長城。当時は観光客の数もそれほど多くなく、峰の頂にある敵台から周囲を見晴らし、遥か数千キロ離れた万里の長城の西端に思いを馳せた。




下の写真は1999年秋の八達嶺長城。
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市内散見
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上の写真は1982年の天安門。故宮の正門の名で、1420年に永楽帝によって「承天門」として創建され、1651年の再建時に「天安門」と改名。1949年、毛沢東が門上で中華人民共和国の建国を宣言。門前の広場は国慶節をはじめとする様々な国家的行事の中心式場となる。
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上の写真(1982年)は天安門広場西側に建つ人民大会堂。中国各地の設計部局や建築家が提出した設計案を基に1959年8月末に完成。下の写真は、天安門広場の南に位置する北京の城門である正陽門(1982年)。1420年に造られた高さ42mの門で、当初は麗正門と名付けられたが、1436年に正陽門に改称された。通称「前門」と呼ばれている。
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上の写真は1982年当時の北京市内。上左は道路を覆う街路樹のトンネル。同右は賑わう下町。左下は京都の町家のような条里制都市住居が続く胡同(フートン)。同右は伝統的な都市型住居である四合院。新しい高層建築の谷間に消えつつある。
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上の写真左は、現在王府井天主堂と呼ばれるカトリックの教会で、1966年の文化大革命以降、教会は閉鎖され小学校に占用されていたが、1980年末には宗教活動が回復したとされている。写真は1982年の撮影だが、入口にはまだ王府井小学の校名が掲げられていた。同右上は1981年の王府井大街。上右下は、書画骨董や印章などを販売する店が建ち並び、文人墨客が訪れることで知られる瑠璃廠。写真は1984年の撮影で、改革開放のスローガンのもと、市内は至る所が建設現場。
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上の写真は全て1981年のもので、左上は北京市西城区の胡同の昼下がり。中国では、1969年の中ソ関係が悪化した頃から、大都市の地下に防空壕となる地下空間が積極的に造られた。左下の写真は、西城区にあった地下空間「福綏境人防工程」への入口があった民家の一角。同右の写真は地下約10mに設けられた地下通路。宿泊所や、医療施設などの大きな空間も設けられていた。つい最近まで、北京で働く地方出身者の宿泊施設になっていると聞いていたが、現在はどうなっているのだろう。

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by toshinac | 2019-06-02 10:25 | trip photos