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江南の水郷都市1/80~90年代の中国

中国のことわざ、「南船北馬」の語源ともいえる揚子江の南に位置する江南地方は、数多くの湖や沼が点在し、川や運河が網の目のように巡る水郷地帯。中華文化の発祥地である黄河中下流域の「中原」は、かつて文化の中心と同時に権力闘争の中心地帯で、多くの戦いが繰り返されてきた。その間にも、争いを好まない多くの人々は、肥沃で争いの場からも離れた江南の地へと移り住み、それに伴い経済の中心も南下したとされている。やがて宋の時代になると、水運にも恵まれていた江南地方は、中国の経済の中心地となり、文化も一気に花開く。

蘇州(1994年撮影)
上海の西約80kmに位置する蘇州市は、江蘇省南東部の省直轄市。後漢のB.C.514年に呉郡の治所に制定され、そこから都市の大規模な建造が始まったという。長江流域の都市としては最も古い2500年の歴史を持っている。当時すでに江南における経済や文化の中心地ではあったが、その後の漢民族の江南への移住が盛んになるにつれ急速に発展し、隋代の610年に中原と江南を結ぶ「京杭大運河」が開通すると、江南地方最大の物資の集散地として繁栄し、呉郡の名も蘇州と改められた。宋代に一層発達した蘇州の都市文化は、地上の楽園と例えられるほど。

盤門三景
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e0116578_9263292.jpg上の写真は、かつての蘇州城への城門の一つである盤門。B.C.514年の蘇州の築城時には、東西南北に各2つずつ計8つの城門があったが、現在残るのは盤門のみ。治安を維持するため、陸門と水門が巧みに組み合わされた盤門は、1351年に再建されているが、宋代の水の都蘇州の面影を今に伝えている。


左の写真は盤門上から眺めた瑞光塔。創建は三国志の呉王“孫権”の時代とされているが、現在の塔は宋代の1014年頃に再建されたもので、8角形7層高さ43mの磚造の塔。



下の写真は、北宋時代の1084年の建造とされる呉門橋で、蘇州市内で最も古い石橋となっている。
さらに下の写真は、幅4.8mの呉門橋のたもとから見た盤門三景。左手に盤門、右手に瑞光塔、そして足元の呉門橋。

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留園
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蘇州市閶門外(しょうもんがい)にある庭園で、明の嘉靖年間(1522~66)に蘇州府長であった徐時泰がここに東園を造営したが、清の嘉慶年間に、観察使(地方行政監察官だが、実質的には行政権を握った。)劉恕に所有されたとき、寒碧山荘と改称され、劉園とも称された。その後、咸豊、同治年間の兵乱で、蘇州の多くの庭園が荒れ果てていったという。光緒年間に湖北の布政使(明・清代の地方官)盛康という人物がここを購入し、大規模な増築改修を行って“留園”と改めた。中華人民共和国の成立後、蘇州市によって整備され1954年から一般に公開されている。
上の写真は池越しに望む緑陰と明瑟楼。下の写真は遠翠閣に至る曲廊を見る。趣ある建物はもとより、江南の水を利用した池や巧みに配された庭木、鋪地(ホチ:小石や陶片で中国伝承の吉祥文や幾何学模様を、大地に織り成された絨毯のように敷き詰める。)の多彩な文様や、龍を想わせる波型の牆壁など、多様な意匠が楽しめる。
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拙政園
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蘇州市婁門(ローメン)内の東北にある拙政園は、明代の1510年頃、御史(主に官吏の監察にあたる役人)の王献臣という人物が、元代は大宏寺という寺であったこの地を買い取り、桃源郷を夢見て庭に自然を集め、拙政園と名づけて余生を送ったそうである。ちなみに拙政園とは拙い者が政(まつりごと)を行う園という意味。その後何度も持ち主が変わり、興廃が繰り返えされたが、清代の末頃に現在の規模になったらしい。上の写真は蘇州では唯一の橋廊「小飛虹」。橋と廊下を兼ねたもので、拙政園の中核を成すともいえる中区にある。水面が全体の3分の1を占める中区は江南の水郷情緒に富んでいる。
下の写真は水際を走る廊下で、文字通りの「水廊」。
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網師園
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蘇州市友誼路にあり、南宋時代の高官が老後を過ごすために建てた庭園で、「漁隠」と名付けた。その後、清の乾隆年間に高官の宋宗元が「漁隠」の土地を購入し、別荘として再建した際に、漁隠の意味をとって網師園と改名。江南地方特有の建物と、池を中心に展開する庭園は変化に富み、小型私家庭園の珠玉とも言われている。
上の写真は月到風来亭から眺めた大池と大庁。左手前に東半亭を見る。
下の写真は殿春簃の庭の鋪地と西側の洞門。
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by toshinac | 2019-07-01 08:00 | trip photos