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ブハラ (2)/ウズベキスタン

アルク城
ブハラ市街の北西部にあるアルク城は、古代ブハラの発祥の地とされており、5世紀頃には城壁を持つ要塞がすでに存在していたという説がある。7世紀、当時荒廃していた城砦はブハラの領主ビドゥン・ブカール・クドーによって復興し、城内には宮殿だけでなく、官房、神殿、監獄、倉庫なども造られた。7世紀後半、アラブ軍の中央アジア侵入が始まると、ブハラは抵抗するすべもなく蹂躙されて圧政下に置かれることになる。
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e0116578_14231687.jpgその後サーマーン朝(イラン系土着の領主一族)、カラハン朝(トルコ系遊牧民族の中で最初にイスラム化した集団)、の統治を経てのホラズム朝(1077~1231:セルジュク朝から自立したイスラム王朝)支配下にあった1220年、モンゴル軍の襲来で市街の大部分は廃墟となり、城に立てこもった多くの市民が虐殺され、城も破壊されてしまう。
以降も15世紀のティムール朝、16世紀後半のシャイバーニ朝と、王朝が変わる毎に城砦は破壊と再建が繰り返されるが、1920年にロシアに攻略されて滅亡するまで、歴代ブハラ・ハンの居城となってきた。現在残っている城は18世紀のものである。

上と左の写真はアルク城の城壁と城門。城壁の高さは16m~20mで周長は790mほど。現在は博物館となっている。



下の写真2葉は城内のジュマ・モスク内外。
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イスマイール・サマニ廟
874年に成立したサーマーン朝の王族の霊廟で、完全な姿を保つ初期イスラム建築としては中央アジア最古で、892年~943年の間に建築されたものとされている。モンゴル来襲の際には、砂の中に埋もれていたため破壊を免れ、およそ700年後の1926年に考古学者によって発掘された。一辺約10mの正方形平面で各面に入口を持ち、高さも外観上約10mという立方体に、内径8mのドームが載るという構成である。
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e0116578_1434123.jpg上の写真は外観。これまでの日干し煉瓦ではなく、焼いた煉瓦を用いた陰影の深い文様積みの意匠が美しい。ドーム屋根はスキンチ(三角隅部分の構造処理)によって支えられた単一ドームだが、外観ではスキンチ部分の高さまで壁を立ち上げ、内部と通じた10個のアーチ窓を設けたギャラリーを廻らせてトランジション部分を覆い隠している。
左の写真は廟内部。約7.2mの正方形で、壁の厚さは1.8m。このドーム空間の建築構成は、仏教寺院の木造による井桁で組んだ降穹天井が源流ではという説もある。
下の写真に見られる、入口アーチの上部にある四角い文様が、敦煌莫高窟の249窟に描かれた降穹天井に酷似していることなどからも、東方の仏教文化の名残が、四方のイスラム文化と融合して生まれた“珠玉の建築”と評されている。ちなみにこの建築は煉瓦造とはいえ、構造的にはコンクリ―ト造を主体とした煉瓦積外装の建築である。装飾積した煉瓦を型枠として、中にローマン・コンクリート(ローマ時代に考案され、石灰や火山灰と砂や砕石などを混合したもの。)を少しずつ詰め固めたものである。
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マゴキ・アッタリ・モスク
1936年に、ロシアの考古学者によって発掘されたカラハン朝時代の小さなモスクで、マゴキという“穴の中”を意味する名が付くとおり、周囲の地面より5mほど掘り下げられた状態にある。
創建はイスラム化する以前のゾロアスター教寺院の跡に、9~10世紀頃に建てられたと推測されているが、実質的にはカラハンがブハラを統治した12世紀に再建されたもの。壁面の小型煉瓦の文様積み、テラコッタ・タイル、スタッコ浮彫り、アラベスク模様など、破壊と再建の繰り返しを物語る時代ごとの装飾技法が認められる歴史的なモスクである。現在は絨毯博物館となっている。
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チャシュマ・アイユブ
旧約聖書にでてくる預言者“ヨブ”が、この地で杖を叩いたら聖なる水が湧き出たという伝説によるチャシュマ・アイユブ(ヨブの泉)は、水不足で悩む沙漠の民を助け、治癒力をもあると信じられていたこともあり、ティムール時代の12世紀に井戸の上に廟が建てられた。
その後14世紀、16世紀と形態の異なるドームが増築され続け、結果的に造形の基本的形態である“丸・三角・四角”そろい踏みの外観を呈している。
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by toshinac | 2018-01-01 01:00 | trip photos