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アルベロベッロ

しばしば長靴の形で例えられるイタリア半島の、踵の部分にあたるプーリア州の小さなコムーネ(基礎自治体)の一つアルベロベッロは、白壁に石積のとんがり屋根という、この地方の伝統的な家屋であるトゥルッリ民家の集落で知られる世界遺産の小さな町。
アルベロベッロのあるムルジェ地方は、肥沃な表土のすぐ下に石灰岩の層があることから、良好な石材を容易に得ることができ、それを積上げて壁を造り、ドーム状の屋根を架けた建築が古くから造られてきた。その発展した形ともいえる円錐形ドームを持つトゥルッリは、素朴な農家の孤立した形式が本来の姿だが、それが集まって町のような景観を見せるのがアルベロベッロである。
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e0116578_9241178.jpgイタリア建築史の研究者によれば、現在のアルベロベッロは、15世紀・16世紀頃には分散していたトゥルッリの小集落が、17世紀・18世紀の発展に伴って拡大し、結果トゥルッリの大集合体が形成されたという。「アルベロベッロのトゥルッリ」として世界遺産に登録されている地域は、町の東部高台のアイア・ピッコラ地区と、横長の谷状の底にあるジュゼッペ・マルテロッタ広場から、南に展開する北向き斜面のモンティ地区である。ユネスコによればアイア・ピッコラ地区には1030軒、モンティ地区には590軒のトゥルッリが現存しているそうである。
上の写真は、モンティ地区のトゥルッリ集落を、対面する高台からマルテロッタ広場越しに見晴るかす。

左の写真はマルテッロ広場から上る通りの昼下がり。坂の両側の民家の多くが土産物屋を営んでいるが、果樹園等の農業に従事している家も少なくないようである。
下の写真はモンティ地区の別の通り。緩やかな弧を描く坂道の両側に、壁を共有しながら整然と連なるトゥルッリの民家。
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下の写真2葉はアイア・ピッコラ地区のトゥルッリの町並み。
モンティ地区に比べ少し古い地区だけに、さまざまな形のトゥルッリが不規則に連なるが、不思議と統一感のとれた美しい町並みが形成され、土産物屋が多いモンティ地区と違い観光客の数も少なく、落ち着いたたたずまいを見せている。
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下の写真はアイア・ピッコラ地区にあるトゥルッロ・ソヴラーノ。主権者のトゥルッロ(トゥルッリの単数形)と呼ばれているだけに、一般のトゥルッリに比べると規模も大きく、石積にモルタルを使用するなど、建築の技術にも変化が見られ、トゥルッリでは殆んど見られない2階のある造りとなっている。最も古い部分は17世紀初頭のもので、18世紀に拡張し現在の形が造られ、その後領主の館や地元司祭のための施設など、様々な役割をはたしてきたという。現在はトゥルッリ博物館になっている。
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上の写真は、プーリア州ムルジェ地方の通称オリーブ街道沿いに点在するトゥルッリ。左上はアルベロベッロと見紛うばかりのオストゥーニ近くのトゥルッリの集落。左下は、同じオストゥーニ近くで見たオリーブの木に囲まれたトゥルッリだが、石積みの壁に石灰が塗られていないことからか、素朴でいかにも農家という印象を受けたトゥルッリ。右上下は、州都バーリの北西約30kmの小さな港町モルフェッタから、さらに北西約20kmの港町トラーニに向かう途中のオリーブ畑の中に見た珍しい渦巻き状のトゥルッロ。壁から屋根に連続して石を積上げて空間を獲得するこのトゥルッロは、いまは農機具の置場や倉庫として使用されているようだが、元来トゥルッロは農夫が休憩したり、農繁期に宿泊したりする場所だったことを考えると、これはトゥルッリの祖形ではと思えてくる。
下の写真は折り紙建築のシフトカード「アルベロベッロ」。1枚の紙で作られており、折り重なった上下を摘まんで横に移動させると奥行感のあるカードとなることから、シフトカードと呼んでいる。(作:中沢圭子)
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by toshinac | 2018-03-28 09:46 | trip photos

ヒヴァ (2)/ウズベキスタン

クフナ・アルク
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上の写真はクフナ・アルクの城門前広場。
イチャン・カラ(内城)の西門北側の一角にあるクフナ・アルク(古い宮殿)は、鋸歯状の高い土壁によって囲まれた17世紀のハーンの居城。中にはハーンの公邸をはじめ、モスクやハーレム、兵器庫や火薬工場、それに造幣所などもあったという要塞。城壁の最上部にあるアク・シェイフ・ババの見張り台は、イチャン・カラを一望できるベストポジションとなっている。
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e0116578_1620658.jpg上の写真はクフナ・アルク内のスナップショット。
左上は城壁。
右上は造幣所の中庭にある夏のモスク。アッラクリ・ハーン(アッラーフ・クリ・バハドゥール:在位1825~1842)の命により1838年に建設。
上の写真左下はハーンの接見の間であるクリヌッシュ・ハナのアイワン。17世紀に建てられたが、1740年のペルシャによる攻撃で破壊されてしまい、現在見るアイワンは19世紀の初めに再建されたもの。
右下は同じ中庭を囲むロッジア風の建物。2階のアイワンの屋根奥にアク・シェイブ・ババの見張り台を見る。
左の写真は、城壁最上部にある、14世紀の建造とされるアク・シェイブ・ババの見張り台。緻密な彫刻が施された風化した木柱が時の流れを想わせる。
下の写真はクフナ・アルクの城壁上から眺めたイチャン・カラ。
クフナ・アルクの城門越しに、ムハンマド・ラヒム・ハーン・マドラサやジュマ・モスクのミナレット、右奥にイスラム・フッジャのミナレットを望む。
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ムハンマド・アミン・ハーン・マドラサとカルタ・ミナル
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西門を入ってすぐ右にあるムハンマド・アミン・ハーン(在位:1846~1855)のマドラサは、1852年の完成。中央アジアで最も大きな規模の神学校で、イスラムの最高裁判所の事務局も置かれた処。1977年よりホテルとして利用されている。

e0116578_16263779.jpgムハンマド・アミン・ハーン・マドラサに沿って建つカルタ・ミナルは、1852年に着工されるが、アミン・ハーンがペルシャとの戦いで亡くなったことで工事が中断され、“未完のミナレット”として現在に至っている。中央アジア一の高さを目指したという規模の大きさと、青の彩釉タイルで覆われた美しさから、イチャン・カラのシンボルとなっている。
上の写真は、クフナ・アルクの城壁上から見たムハンマド・アミン・ハーン・マドラサとカルタ・ミナル。奥にイスラム・フッジャのミナレットを望む。

左の写真は、マドラサとカルタ・ミナルに架けられたブリッジ。


下の写真は、朝日を浴びるカルタ・ミナルと観光用の駱駝。手前のドームはラヒム・ハーン・マドラサの施設であったが、現在は “Bir Gunbaz Tea House”というカフェになっている。右奥にアク・シェイブ・ババの見張り台が見える。
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タシュ・ハウリ宮殿
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ハーンの公邸であるクフナ・アルクに対し、ハーンの私邸であるタシュ・ハウリ宮殿は、1830年から1838年にかけてアッラクリ・ハーンによって建てられた。163の部屋と3つの大きな中庭、5つの小さな中庭からなる邸宅で、建物配置としては簡素な構成の建築だが、広い壁面を利用した彩釉タイルの装飾や、木柱の複雑な彫刻の美しさが高く評価されている。
上の写真はハーレムのある北側の中庭。北向きのアイワンが5つ連続する棟には4人の正妻が住み、中庭を囲む2階建ての小さなアイワンのある部屋はハーレムの女性達の部屋で、ハーンは中庭に建てたユルタに居ることを好んだそうである。下の写真は、アイワンの壁と天井を彩るタイル装飾と木柱。
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ジュマ・モスク
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中央アジアでも有名な多柱式建築として知られるジュマ・モスクは、10世紀頃の創建以来、幾度かの修復工事を重ね、現在の形になったのは1788年から1789年にかけてのことだそうである。
広さ約55m×46m、何の装飾もない焼成煉瓦の分厚い壁に囲まれた陸屋根の建築で、窓もなく、明かりは天井に設けられた2ケ所の開口部、いわゆる“光の井戸”のみ。暗いモスク内には陸屋根を支える212本の木柱が約3mの間隔で林立し、光の井戸から差込む明かりが神秘的な空間を創出する。彫刻が施された木柱は同じデザインのものは無く、古いものでは10世紀~11世紀のものもあるという。
クフナ・アルクやタシュ・ハウリ宮殿のアイワンでも見られるように、緻密な彫刻が施されたヒヴァに見る木柱は、辣韮(らっきょう)のような形状をした根元部分に特徴があり、独立した基礎との間に、鉄パイプ状の接合部材を設けている。それは接地面の腐食防止ということだけでなく、もともと遊牧の民であった彼らの建築空間である“天幕”を支える柱が様式化されたものではと、岡野忠幸氏は自著「シルクロード建築考」で述べている。確かに細く絞られた根本をみると、組立解体に容易な天幕の柱が象徴化されているのかな?と想像できなくもない。

パフラヴァン・マフムド廟
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ジュマ・モスクの真裏に位置するパフラヴァン・マフムド廟は、1664年に創建、1810年に現在の煉瓦造りに改築され、ドーム屋根の完成は1835年だそうである。ヒヴァの守護者として尊敬されていたパフラヴァン・マフムド(1247~1326)の墓を中心に、ムハンマド・ラヒム・ハーン(在位:1807~1826)やその親族などの墓もある合同の廟となっている。
偉人の傍に葬られると天国に行けるという俗信か、廟の周囲には多くの墓が造られている。

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by toshinac | 2018-03-01 01:00 | trip photos