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アテネ古代遺跡2/ギリシア

ゼウス・オリンピウス神殿
アテネの中心部にある古代ローマ時代の遺跡で、ギリシア神話の最高神ゼウスを祭る神殿の跡。B.C.6世紀にアテネの僭主(せんしゅ:非合法手段で政権を握った独裁者)ペイシストラトスが建造を始めるが工事は途中で中止され、跡を継いだ息子らによりB.C.520年頃より建設が再開される。
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e0116578_1123951.jpgしかしB.C.510年に息子ヒッピアスが追放されたことでまたもや中断、基礎部分と僅かに完成していた円柱を残したまま336年間も放置されていた。
その後B.C.174年、セレウコス朝(B.C.312~B.C.63年:アレクサンドロス大王の後継者の一人が、オリエント地方に築いた王国。)のアンティオコス4世によって建設が再開されるも、10年後にアンティオコス4世が死去したことにより建設はまたまた中断する。
当時はすでに共和政ローマの支配下にあったアテナイで、ルキウス・コルネリウス・スッラ(B.C.138~B.C.78年:共和政ローマ期の軍人・政治家)が放置されていたゼウス神殿の柱をローマに持ち帰ったことで、神殿は大きく破壊されたという。
古代の世界で最大とされる神殿は、初代ローマ皇帝アウグストゥスの統治時代に建設再開となるが、完成は14代ローマ皇帝ハドリアヌスによって132年に完成。じつに建設開始から638年を経過したことになる。
しかしながら5世紀~6世紀にかけて、キリスト教以外の神を祀った神殿を否定する東ローマ帝国により神殿は破壊され、石材はキリスト教の聖堂建設に利用されたということである。


スタディオン
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上の写真はアテネのスタディオン。1869年~70年発掘され、1895年に再建されて、1896年の第1回近代オリンピック競技の会場になったことで有名。古代アテネの最も重要な祭典“パンアテナイア”(全アテナイの祭りという意味で、B.C.6世紀中頃に僭主ペイシストラトスによって整備され、女神アテナの名誉を守って4年ごとに催された宗教的な運動の祭典。)のために、2つの丘の谷間に自然の傾斜を生かして造られた競技場である。競技場を馬蹄形に取り巻く大理石の階段状の観覧席は、B.C.330年頃に建設が始められたとも言われているが、完成したのはA.D.143年、オデオンの音楽堂を建設したヘロディス・アッティコスの尽力によるとされている。
その後4世紀の後半に入ると、ローマ帝国のテオドシウス1世(在位379年~395年:東西に分裂していたローマ帝国を再統一し、一人で支配した最後の皇帝。)によって、パンアテナイアは禁止され、競技場は徐々に荒廃し、やがて小麦の畑に覆われたという。1836年の考古学的発掘で競技場の痕跡が発見され、1869年~70年にドイツ生まれの建築家エルンスト・ジラー(1837~1923:後にギリシア国民となり、20世紀初頭には、ギリシア国内で王室と市町村の公共建築を数多く手掛ける。)によって徹底的に発掘された。下の写真はGoogle Earthでみたスタディオン。
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ポセイドン神殿
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アテネの南南東約70km、アッティカ半島の東南端にあるスニオン岬に建つポセイドン神殿は、ギリシア神話の海の神ポセイドンを祀るドリス式の神殿である。B.C.444~440年ごろ、ペリクレス(B.C.495頃~B.C.429年:古代ギリシア、アテナイの軍人で政治家。現存のパルテノン神殿の再建など、文化面でも大きな役割を遺す。)によって、以前にあったとされる神殿跡に建てられた。
正面6柱、側面13柱の周柱式神殿は、A.D.1世紀頃にはこの聖域が放棄されたらしく、その後神殿は荒廃し、いまでは白亜の列柱を残すのみ。イタリアのローマ遺跡パエストゥムにある、ポセイドン神殿の完全な姿と迫力には及ばないが、エーゲ海の夕日に映える神殿の美しさが旅愁を誘い、アテネから離れているにもかかわらず多くの観光客が訪れる。
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by toshinac | 2018-06-18 12:00 | trip photos

アテネ古代遺跡1/ギリシア

ディオニソス劇場
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アクロポリスの東南斜面を利用して造られた野外劇場で、ギリシア神話に登場する豊穣と葡萄酒と酩酊の神“ディオニソス”の聖域の一部となっていた。ギリシア最古の劇場でB.C.6世紀頃の創建とされているが、ローマ時代のB.C.4世紀に改築され、第5代のローマ皇帝ネロが紀元61年に修理をさせたという記録が残るのみだそうである。オルケストラ床の敷石を菱型にかたどり、今は無い舞台の前面を飾る彫刻像など、現在にみる劇場の姿はローマ時代のものである。ちなみに収容人数は15,000~18,000人ほどらしい。

オデオンの音楽堂(へロディス・アッティコス音楽堂)
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ローマ時代の161年頃、アクロポリスの南西斜面に造られた音楽堂。
列柱廊によってディオニソス劇場と結ばれていた。ローマの元老院議員であったギリシア人貴族のヘロディス・アッティコスによって建設された施設で、劇場正面の列柱廊には木造の屋根が架けられていたという。主に音楽の演奏会に用いられ、約6,000人の収容が可能とされている。
客席と舞台部分の改修が行われた現在、演劇やコンサート等の催物に利用されている。

アゴラ
アゴラとは、古代ギリシアの都市国家において、軍事的・精神的な中心であるアクロポリスに対して、周囲に様々な公共施設が配置された広場・市場であり、市民生活の中心となる場所を指す。アテネのアゴラは(B.C.6~2世紀)アクロポリスの北西に位置し、約200m四方の広場の周囲に、ストアと呼ばれる列柱廊をはじめ、神殿および行政・商業等の諸施設が整備されていた。市民の交流の場であった広場では、買い物の傍ら男達(古代ギリシアでは買い物は男性の役目とか)が、政治や芸術を論じたり、熱弁を振るう哲学者の思想にふれるなど、情報交流の場でもあったという。かのソクラテスやプラトンも、この場で熱弁を振るっていたと言われている。
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上の写真はアゴラの西の丘に建つヘファイストス神殿。B.C.449年に着工され、B.C.415年頃の完成とされ、前面6柱、側面13柱の大理石の柱が屋根を支えるドリス式の神殿は、ギリシア神話の火と鍛冶の神ヘファイストスを祭る。アテナイ(アテネの古名)の王テセウス(ギリシア神話に登場する伝説的な王で、国民的な英雄)のレリーフが多数施されていることから、テセウスの神殿“テセイオン”と呼ばれていた時期もある。また7世紀から19世紀まで、ギリシア正教のゲオルギウス聖堂として用いられたことで、最も破損が少ない古代ギリシア神殿として現存する。
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上の写真は、1952~1956年にかけて忠実に復元されたとされるヘレニズム時代の“アッタロスのストア” で、アテネのアゴラ東端部に建つ。B.C.150年頃、ペルガモン王国(現在のトルコのペルガモを都とした王国)の王アッタロス2世(在位B.C.159~138年)から寄贈されたもので、2階建て列柱廊の長さは111.96m、奥行19.52mで、かつては柱廊の両端に2階に上がる階段が設けられていた。両階とも前面に2列の柱廊、奥に21の部屋があり、当時は商店として使われていたという。
現在、アッタロスのストアは古代アゴラ博物館となっており、これらの部屋には当時の資料が展示されている。ストアの手前に見るビザンティン様式の建物は、11世紀頃建てられた聖使徒聖堂。
下の写真は、アテネ市内で一番標高が高いリカヴィトスの丘を背景に見たアッタロスのストア。
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by toshinac | 2018-06-10 09:23 | trip photos

アテネのアクロポリス/ギリシア

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アクロポリスとは、古代ギリシアのポリス(都市国家)の高所に造られた聖域で、域内には都市の守護神を祭る神殿や公共建築物が設置され、市政の重要な祭儀が執り行われたり、非常時の比護所となったりもした、“古代ギリシアの都市国家における宗教的・精神的な中心地”。ギリシア国内に幾つか残るアクロポリスの中でもアテネのアクロポリスは代表格。
上の写真はフィロパポスの丘より眺めたアテネのアクロポリス全景で、手前にローマ時代に造られたオデオンの音楽堂遺跡を見る。海抜150m、東西270m、南北156mの石灰岩の台地上に、パルテノン神殿をはじめ、ペリクレス(B.C.495?~429:古代ギリシア、アテネの政治家で、アテネの民主政治と帝国が最高の発展を見た時期の指導者。)の執政時期(B.C.444~429)を中心としたアテネの黄金時代に、ギリシア建築の傑作が建てられた。

パルテノン神殿
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上の写真はパルテノン神殿全景(B.C.447~432)。守護神アテナを祭る神殿はアクロポリスの中心にあり、正面8柱、側面17柱の周柱式神殿。基壇とエンタブラチュア(柱頭上部の水平に構築される部分で、モールディングや帯状装飾で飾られる。)にはむくりがつけられ、柱もごく僅かなエンタシス(膨らみ)をもっており、元来垂直であるはずの柱や壁も内側に傾斜し、隅の柱は対角線方向に傾けるなど、視覚上の補正が施された比例美はギリシア建築の極みといえる。

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左の写真は、ドーリア式オーダーのエンタブラチュア部分。古代建築の重要な要素であるエンタブラチュアは、一般的にはアーキトレーブ(各円柱間や円柱と壁との間に渡された直上部分)、フリーズ(アーキトレーブの上にあり、装飾が有る場合と無い場合がある帯状の部分)、コーニス(エンタブラチュアの最上部に置かれる部材で、破風の下に張り出した部分)、の3部分から成り、かつては色鮮やかな彩色が施されていた。







下の写真は正面。古代ギリシアとローマの古典的神殿建築の、対称性や奥行、その価値観に基づく設計から派生したヨーロッパの建築様式、いわゆるパラディアン様式の根源ともいえるパルテノン神殿。
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プロピライア
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上の写真は、アクロポリスの入口である西側の急斜面を上りきる所に造られた門“プロピライア”(B.C437~433:ラテン語とギリシア語から「前門としての建物」と言う意味)を見上げる。東西両面にドリス式の6本柱の門屋と、南北に張り出す翼屋から成り、北翼屋はピナコテカ(絵画館)と呼ばれている。また門屋の中央通路の両側には3本のイオニア式の柱が配されていることから、ドーリア式と、イオニア式の折衷的な効果が特徴となっている。
下の写真は、アクロポリスの入口を北西側から仰ぎ見る。手前にピナコテカ、入口階段を挟んで南翼屋とアテナ・ニケ神殿を見る。
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アテナ・ニケ神殿
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上の写真は、アクロポリス入口右手(南西)の稜堡上に建つアテナ・ニケの小神殿。B.C.6世紀に建設されたアテナ神殿が、B.C.480年にアケメネス朝ペルシャに破壊されたため、その廃墟の上にB.C.427年~424年頃に建設されたもの。だが神殿は1687年には取り壊されて砲台の部材にされていたのを、1835年に再発見され、1935年~1940に元の位置に再建された。基壇の前後それぞれに4本のイオニア式の柱が立ち、フリーズには神々の中央に座すアテナとアテネの戦士たちが刻まれている。しかしペディメントは失われたままである。

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by toshinac | 2018-06-01 01:00 | trip photos