works & trip photos     (c)Toshiaki Nakazawa all right reserved.


by toshinac

プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る

カテゴリ

全体
trip photos
works
未分類

検索

最新の記事

カイロ/エジプト
at 2018-12-13 17:40
カッパドキア/トルコ共和国
at 2018-11-16 16:46
ヒエラポリス遺跡/トルコ共和国
at 2018-10-24 11:19
エフェソス遺跡/トルコ共和国
at 2018-10-06 10:03
アタチュルク廟/トルコ共和国
at 2018-09-17 16:10

以前の記事

2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月

記事ランキング

画像一覧

<   2018年 09月 ( 2 )   > この月の画像一覧

アタチュルク廟/トルコ共和国

アタチュルク廟は、初代大統領ムスタファ・ケマル・アタチュルク(1881~1938)の霊廟で、トルコ共和国の首都アンカラにある。アナトリア高原の西側に位置するアンカラは、1923年の共和国誕生と同時に首都となり、1928年に市全体を対象とする都市計画の国際コンペが実施され、ドイツ人のヘルマン・ヤンセン(1869~1945:建築家・都市計画家でベルリン大学教授)案が当選し、その後始まった都市整備はヤンセンの案に基づくかたちで実施され、オスマン帝国時代とは違った様相の近代都市をつくりあげてきた。
廟は、B.C.8世紀頃のフリギア人(B.C.12世紀頃ヨーロッパから移住してこの地域を支配し、B.C.8世紀に王国をたてたとされるインド・ヨーロッパ語族の、いまでは死語となっているフリギア語を話す人々。)の古墳があった市街南東部の丘陵地に建っている。1938年アタチュルクの死と同時に廟の建設計画が持ち上がり、建設案は国際建築家連合(UIA)の規定に沿った国際コンペで募られたが、第2次大戦中であったためヨーロッパからの応募は少なく、結果的にはトルコ人建築家エミン・ナオト(1908~1961)とオルハン・アルダ(1911~1999)という2人の連名案が採用され、変更はあったものの基本的なところでは変わりなく1953年に完成した。
e0116578_15572982.jpg

e0116578_15585141.jpgケマル・アタチュルクが、「トルコ人の起源は中世イスラムにあるのではなく、アナトリアの農民にある」と定義づけたことを背景に、全体的にはイスラム色を排除したアナトリアン様式(B.C16~14世紀の古代ヒッタイト帝国時代から新ヒッタイト時代の様式とアンカラ周辺のフリギア美術をまとめて総称したもので、中央アナトリアに見られる古代様式。)のデザインで統一されており、さらに古典回帰や伝統の再現だけでなく、時代の潮流でもあったモダニズムのデザインも随所に見る。
上の写真は夕日に輝くアタチュルク廟。建築に使用されている石材はすべて国内で産出されたものだそうである。
左の写真は廟の主室周りに配された角柱の列柱廊。廟の東北方向に位置する丘上にあるアンカラ城を遥に望む。

下の写真は雨上がりの式典広場から見る廟。コンペの当選案では、廟の上部にレリーフを施した巨大な箱が載るという仰々しいデザインであったが、実施段階では取り除かれた。
e0116578_1624595.jpg
e0116578_1642884.jpg

e0116578_1654947.jpg廟の建設計画と同時に大統領の葬儀計画が進められており、祭壇の設計が、当時イスタンブールに在住していたドイツ人建築家ブルーノ・タウト(1880~1938 : 1933年に日本に亡命し、桂離宮の評価で知られるタウトだが、当時の日独関係上しかるべき公職に就くことが難しかったところに、1936年にトルコ政府からの招聘があり転地する。トルコではイスタンブール芸術大学建築学科で教鞭をとり、文部省建設局の主任も兼務。)に委ねられた。タウトは病床の身にありながら祭壇のデザインを一晩で完成させたと言われ、後にアンカラ市から金品の申し出があったが、「最も偉大な人の死に際して、私に恵まれた名誉の仕事のために金を受け取るわけにはいきません」と断ったという、タウトのアタチュルクの対する敬意を表した逸話がある。アタチュルクが亡くなった1938年11月のわずか1ヶ月後、タウトも急逝する。もしタウトが亡くなっていなかったなら、“タウト設計のアタチュルク廟”なんてことがあったかも。上の写真は式典広場を取り囲む列柱回廊。左の写真は石棺が置かれた内部で、地下に納骨堂が設けられている。下の写真は式典広場の回廊から眺めたアンカラ市街。
e0116578_1692650.jpg

toshinacHP
[PR]
by toshinac | 2018-09-17 16:10 | trip photos

イスタンブール3/トルコ共和国

スレイマニエ・モスク
e0116578_10211161.jpg

e0116578_10244579.jpgオスマン帝国の第10代皇帝スレイマン1世の命により、王の主任建築家ミマール・シナン(1489~1588:生涯に364の建物を設計したとされるトルコ史上最高の建築家)の設計で、7年の工期をかけて1557年の完成。平面や構造はアヤソフィアに似るが、直径27.5m、頂点の高さ53mの大ドームを中心に小ドーム群と4本のミナレットを持ち、周囲に建てられた学校、病院、養育院など、大公共建築群と一体として計画されている。
上の写真は、イスタンブール旧市街の中でもひときわ偉容を誇るスレイマニエ・モスクを金角湾側から見る。第三の丘と呼ばれる突端の、やや急な斜面に位置することから大規模な人工地盤上に建ち、周囲の施設も地形にあわせつつ、対象性を意識した配置がなされている。1660年に火災による被害を受けるが、メフメット4世によって修復され、第一次世界大戦で武器庫として使われたことが原因で再び火災の被害を受け、1956年に元の姿に修復された。

左の写真はモスク内部。下の写真は、モスク前庭の回廊から仰ぎ見る大ドーム。
e0116578_15202197.jpg


スルタン・アフメット・モスク(ブルー・モスク)
e0116578_10315860.jpg
アヤソフィアと向かい合うように建つこのモスクは、オスマン帝国の第14代皇帝スルタン・アフメット1世によって、1609年~1616年にかけて建設された。設計は前述のミマール・シナンの弟子であるメフメット・アガ(1540~1617)。内部壁面の青い施釉タイルと、ドーム内側の青を基調とした幾何学模様のフレスコ画が描かれていることから、ブルー・モスクとも呼ばれている。
64m×72mの広さを誇る礼拝堂は、「像の脚」と呼ばれる直径5mの4本のピアの上に直径23m、高さ43mの大ドームが架けられ、大ドームの四方には半球型のセミ・ドームと、そのセミ・ドームを受ける3つの小さなセミ・ドームがあり(ミフラブ側は2つのセミ・ドーム)、四隅にも小さなドームが架かっている。外部には他のモスク同様に連続ドームを架けた回廊に囲まれた前庭があり、モスクでは唯一とされる6本のミナレットが建つ。オスマン帝国の「最も美しいモスク」と評されている。
上の写真は、6本のミナレットと盛り上がるように重なるドーム群によって構成される迫力ある外観。
下の写真は廻廊に囲まれた前庭からの見上げ。
e0116578_10342817.jpg
e0116578_10383676.jpg
上の写真は、ブルー・モスクと呼ばれる所以の内部。想像していたほどの“青い空間”ではないが、かつては壁面の青とステンドグラスから差込む光で、あたかも水中にいるような神秘的な空間であったらしい。
近年の修復事業でオリジナルに近いという色調に変えられた結果が現在の色らしいのだが、以前のブルー・モスクの空間に浸ってみたかった。

トプカプ宮殿

古代ビザンティオンのアクロポリスの場所に、メフメット2世が夏の離宮として1459年頃起工したが、次第に施設や庭園が整備されて拡大し、スレイマン1世(第10代皇帝:在位1520~1566)の時代に全宮殿が移されて以後、絢爛たる宮廷文化を育んだオスマン帝国の宮殿となる。しかし1853年に、アブデュル・メジト1世(第31代皇帝:在位1839~1861)が新たに建設したドルマバフチュ宮殿(1855年竣工)に宮廷を移すと、トプカプ宮殿は放置され荒廃するが、1923年にトルコ共和国が誕生すると、宮殿は修複されて1924年に博物館として一般に開放される。
e0116578_10424447.jpg
宮殿といえば、通常は中心となる大建築を想像するが、トプカプ宮殿はいささか趣を異にする。広大な敷地に直線的に連なる4つの中庭に沿う形で、比較的小さな建物と小部屋が連続する集合体によって構成されている。スルタンたちが集めた世界の秘宝や献上品など、展示物は枚挙に遑がないが、建築物の写真を撮ることが目当ての私には“猫に小判”的で、写真もいま一つ物足りない結果。
上の写真の左上は、博物館への入口となっている中門(第2庭園への入口)。右上は煙突が特徴的な宮廷の調理棟。左下は謁見の間。右下は宝物館。下の写真は、宮殿奥のテラスから眺めた旧市街。左にスレイマニエ・モスク、奥にファーティフ・モスク、右手前にイェニ・モスクを見る。
e0116578_10445185.jpg

ガラタ塔
e0116578_10471086.jpg

e0116578_10474945.jpg金閣湾の北岸に位置するガラタ地区(カラキョイ)に建つガラタ塔(ガラタ・クレシ)は、東ローマ帝国(ビザンティン)時代の528年に灯台として建設されたのが始まりで、1204年に第4次十字軍の遠征時に破壊されたが、1348年にジェノヴァ人によって「キリストの塔」の名で再建された。
その後、天文台や捕虜収容所、火災監視塔などとして使われたらしいが、その間、2度の火災や自然災害で一部損壊したという。高さ67mの現在の姿になったのは1967年以降のことらしく、最上部の尖塔部分もその時点で付け加えられたもの。丘の上に建っているので高さ以上に眺望がすばらしく、金角湾のパノラマが楽しめる。




上の写真は金角湾の対岸から眺めたガラタ塔。
左の写真は塔の近影。十字軍に破壊された灯台の瓦礫を利用して再建された塔の壁には、1453年にジェノヴァ人がスルタンに塔の鍵を献上した、と刻んだプレートが取り付けてある。



toshinacHP
[PR]
by toshinac | 2018-09-01 10:52 | trip photos