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カッパドキア/トルコ共和国

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カッパドキアは、アナトリア高原の中心に広がる大奇岩地帯。数百万年前、エルジェス山などの巨大噴火で膨大な量の噴出物が大地を覆い、それが長い年月をかけて浸食され、キノコ状の岩に代表される奇岩群の景観を生み出した。上の写真はカッパドキアの中心ともいえるギョレメの谷。中央彼方にエルジェス山を望む。下の写真はギョレメの谷の北部に位置するゼルヴェに見るキノコ状の奇岩群。
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この地方に人が住み始めたのは先史時代に遡るとされ、B.C.15~B.C.12世紀には、アナトリア半島を支配領域としたヒッタイト王国(B.C.15世紀アナトリア半島に王国を築いた民族で、最初の鉄器文化を築いたとされている。)の中心地であったとされている。
しかし12世紀に異民族の侵入によりヒッタイト王国は崩壊し、いくつかの君侯国の時代を経たB.C.8世紀頃、フリギア王国(B.C.12世紀頃ヨーロッパから移住してきたとされる民族で、B.C.8世紀に建国。)が一帯を支配するが、B.C.7世紀の末頃、隣国リディア(B.C.7世紀~B.C.547年の間、アナトリア半島西部地域を中心に栄えた王国で、世界で初めて硬貨を導入した国家として知られている。)がカッパドキア地方を支配下に置き、さらにB.C.5世紀半ばにはペルシャの統治下となる。ちなみにカッパドキアとは、ペルシャ語で名馬の産地を意味する“カトゥパトゥキヤ”が語源だという説がある。
その後B.C.333年、アレクサンドロス3世(アレキサンダー大王:B.C.356年~B.C.323年)がこの地を征服し、サトラップ(州総督)を任命してそのまま東征を続けたおよそ1年後、ペルシャの統治下でサトラップであったアリアラテスがカッパドキア王国を建国するが、アレクサンドロスの側近ペルディッカス(アレクサンドロス3世に仕えたマケドニア王国の将軍)がその権力を奪還する。
しかしB.C.301年に、アリアラテス2世がカッパドキア南部を奪い返すと、アリアラテス5世の時代までカッパドキア王国は拡大を続けるが、5世の死後は徐々に衰退し、B.C.17年、カッパドキアの最後の王アルケラオスの時代にローマ帝国の領となる。
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上の写真はギョレメの南に位置する、自然の城砦がそびえるウチヒサールの街。
人々は岩山をくり抜き、見晴らし台付きの城砦として使ってきたが、岩壁の風化と人口の増加に伴い、しだいに麓の方に街が広がっていったという。下の写真はウチヒサールで見かけた岩窟住居。一本の木の下は大空のもとの憩いの場。
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古くから交易上の要衝地でもあったことから、侵略、侵入、略奪の対象となってきた地元の住民たちは、略奪者から身を守るため洞窟に住むようになり、やがて水源や食物貯蔵庫、ワイナリー等を含む地下都市へと発展していく。4世紀前後からは、ローマ帝国の迫害を恐れたキリスト教徒が移り住み、軟らかい凝灰岩を削って洞窟を広げ、住居だけでなく礼拝堂や教会、さらには修道院の空間まで彫り上げている。6世紀に入るとギョレメ渓谷に多くの人々が移り住み、7世紀のイスラム教徒のアナトリア侵攻が拍車をかけ、カッパドキアの洞窟に住む人口は当時6万人を超えたとされている。
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上の写真は、36か所ほどある地下都市の一つカイマクルの内部。現在地下4層まで一般開放されているが、地下都市は8層にまで及ぶと言われ、教会やワイナリー、貯蔵庫などが設けられ、遠く離れた地下都市デリンクュまで通じる地下通路も確認されているという。何世紀にも亘って掘り進められ拡張されてきた地下都市の起源は定かではないが、紀元前のヒッタイトの時代ではと推定されている。
下の写真の中央に映る丸い石は、地下都市への侵入者を阻む石の扉。初期のキリスト教時代、カッパドキアの地下都市が果たした役割は大きかったが、8世紀以降は住まいとしては使われなくなったそうである。
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e0116578_16423381.jpg726年からの約100年間、一時的には聖像や聖画は禁じられたが、1071年にビザンティン帝国を滅ぼしたセルジューク朝トルコの時代でも表現の自由を得たことで、カッパドキアでは岩山を穿った小さな聖堂が盛んに造られた。
15世紀には強大なオスマン帝国の時代となるが、宗教には寛大で、キリスト教信仰も自由であったという。1923年にトルコ共和国が成立すると、アナトリアに住んでいたキリスト教徒の多くはギリシャへ移り住む。
上の写真は、ギョレメの野外博物館にある岩窟教会の一つ聖バルバラ教会。
左の写真はその内部で、11世紀頃に造られたとされている。




下の写真は、ギョレメの岩窟教会の中では最大規模をほこるトカリ・キリセ(留め金の教会)。イエスの生涯を物語る絵が壁・天井に描かれたのは10世紀初期の頃と考えられている。
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by toshinac | 2018-11-16 16:46 | trip photos