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サヴォワ邸/コルビュジエ

サヴォワ邸/コルビュジエ_e0116578_1135442.jpg
コルビュジエの代表的作品でもあるサヴォワ邸は、パリ郊外ポワッシーのなだらかな丘上に建つ別荘建築で1931年の竣工。近代建築の5原則と言われるピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由なファサードが完成度高く具現化された建築で、その名は建築の歴史のなかで知らぬ人はいないのではと言われるほどであり、文化財として保存されている現在も見学者は後を絶たないという。かく言う私も1975年、1985年に訪れた。そして2016年の最新の写真を見ても、パリのラ・ロッシュ・ジャンヌレ邸(1923年:コルビュジエ財団事務所)から続いたコルビュジエの“白の時代”を象徴する美しさは変わらない。上の写真は敷地の北東側から眺めたもの(1985年撮影)。
下の写真は東側ファサード(1975年撮影)。1階ピロティ奥のグリーンに塗られた部分はガレージの扉と、運転手の控室(建設時)の壁。2階左側は居間で中央と右はテラス部分。
サヴォワ邸/コルビュジエ_e0116578_1137281.jpg
サヴォワ邸/コルビュジエ_e0116578_11383693.jpg
上の写真は南側ファサード(1975年撮影)。1階ピロティ奥正面が玄関ホール。2階は居間と厨房(左端)。屋上に日光浴のための空間(ソラリウム)を囲む壁が建ち上がる。
下の写真は玄関ホール(1975年撮影)。
サヴォワ邸/コルビュジエ_e0116578_11404685.jpg

サヴォワ邸/コルビュジエ_e0116578_11414642.jpg
左の写真は、白の時代の始まりともいわれるパリのラ・ロッシュ・ジャンヌレ邸(1975年撮影)で、内部の見学はかなわなかった。












下の写真は全て2016年撮影のもので、ものつくり大学教授八代克彦氏から拝借したものである。
下の上左はゲートからのアプローチが取りつく北側ファサード。上右は2階の居間。下の下左は2階厨房。下右は居間からテラスを見る。
サヴォワ邸/コルビュジエ_e0116578_114965.jpg

toshinacHP
# by toshinac | 2016-12-16 11:51 | trip photos

ナンジェセール・エ・コリ通りのアパート

ナンジェセール・エ・コリ通りのアパート_e0116578_16273881.jpg
パリ市南西部に位置するブローニュ・ビヤンクール地区の、ナンジェセール・エ・コリ通りとラ・トゥレル通りの二つの通りに面して建つこの建物は、最上階の8階と屋上ペントハウスが、コルビュジエ自身の住居とアトリエになっていた1934年竣工の集合住宅である。
クライアントが開発業者であったことによる複雑な契約条件や、地域特有の法的規制や資金難から、必ずしも設計当初の構想通りには進まなかったということもあってか、外観は見過ごしてしまうほど街並みにとけ込んでいる建築。 クライアントとの契約であったかは分からないが、コルビジュエは最上階を購入し、屋上にペントハウスを設けてゲストルームとするなど自費を投じて工事をし、そこから31年間の生涯を通じた住居としたのである。
上の写真は、8階のコルビュジエの自宅で、アトリエ側より見たリビング・ダイニング。ダイニングの左にキッチン、右に寝室がある。中央の赤と白に塗り分けられた部分はエレベータシャフトとP.S.部分を利用した小さな棚。下の写真は、ペントハウスへの廻り階段とアトリエと住居を仕切る大きな間仕切り扉を見る。
ナンジェセール・エ・コリ通りのアパート_e0116578_16344716.jpg

ナンジェセール・エ・コリ通りのアパート_e0116578_16361353.jpg左の写真は1975年に訪れた時のもの。外観を見る限りでは、直前に竣工したコルビジュエの代表的作品であるサヴォワ邸とは、個人住宅と集合住宅、郊外と街中といった用途や諸条件の違いもあって類似性は感じられない。どちらかと言えばガラスブロックつながりで、ピエール・シャロウ(1883~1950)設計のダルザス邸(1932通称:ガラスの家)との類似性を強く感じる。現に、コルビュジエはダルダス邸の工事現場に度々訪れてスケッチをしていたという話もあることから、少なからず影響は受けていたのかもしれない。
またコルビュジエとシャロウは、テオ・ファン・ドゥースブルフ (1883~1931 建築家で画家・美術家:新しい造形運動を広めるため “ピエト・モンドリアン”と雑誌「デ・ステイル」を1917年に創刊。抽象表現を追求し、絵画はもとより建築やデザインの分野にも大きな変革をもたらし、後のバウハウスへも大きな影響を与える。) 設計の自邸を見学し、必要に応じて部屋を仕切る大きな回転扉に魅せられたという。ちなみにシャロウ設計のガラスの家にも巨大な間仕切り扉が設けられている。
下の写真左はアトリエ部分を見る。右は寝室内のシャワーブース。
ナンジェセール・エ・コリ通りのアパート_e0116578_16532584.jpg

toshinacHP
# by toshinac | 2016-11-02 16:54 | trip photos

カップ・マルタンの休暇小屋/コルビュジエ

南仏のイタリア国境に近い地中海に面した小さな村ロクブリュヌのカップ・マルタン (カップ岬) は、モナコ公国に隣接するコート・ダジュールのリゾート地。コルビュジエ自身と妻イヴォンヌのための休暇小屋は、海岸沿いの岩場の崖上に建つ軽食堂「ひとで軒」の増築というかたちで1952年に建てられた。方3.66m(内法)の居住空間に幅70㎝ほどの通路状入口と便所が付いただけで、食事と入浴のための機能は無く、まさしく小屋:キャバノン(cabanon)である。
下の写真は木立に覆われた丸太小屋風の休暇小屋。木軸の壁に、丸太の布挽きで出る一番外側の丸身材を張り付けている。
カップ・マルタンの休暇小屋/コルビュジエ_e0116578_942662.jpg
すでに社会的にも経済的にも成功を収めた世界的な建築家の別荘となれば、大方の人は大規模で瀟洒な意匠を凝らした建築を想像するに違いない。それがトイレとベッドと洗面器、それに棚と机が設けられた僅か8畳ほどの住まいは、流布されているような愛妻への誕生日プレゼントと言うよりも、パリという都会での美術・建築に携わる日常から距離を置くため、紺碧の海を見晴らすこの地で生活するに足る究極の住まいで、精神の安らぎと思索を深める場を求めたように思えてくる。
カップ・マルタンの休暇小屋/コルビュジエ_e0116578_985742.jpg

カップ・マルタンの休暇小屋/コルビュジエ_e0116578_995960.jpgCIAM (近代建築国際会議1928) の発足メンバーでもあるジークフリート・ギーディオン (1888~1968:スイス出身の都市史家で、建築・美術の評論家であり研究者。ハーバード大学客員教授時代の講義録とゼミ録をまとめた著書「時間・空間・建築」は代表作) に宛てた1954年の手紙には、「私はそこで幸せな修道僧のように生活をしている」とあったという。ここでのコルビジュエの簡素な生活や考え方は、「方丈記」の作者である鴨長明の方丈庵 (一丈3.03m四方の一室空間の住まい。京都の下賀茂神社摂社である河合神社内に復元されている) での暮らしぶりとよく比較され、人生を達観した芸術家の終の住まいとして語られることもある。
上の写真は部屋の北東側に設けられたトイレとベッドで、赤いカーテンで仕切られている。
左の写真は入口通路。絵が描かれた壁に付くドアは「ひとで軒」への通用口で、食事とシャワーは「ひとで軒」で済ませていたという。
下の写真は南東側に開く窓と机と洗面器。全体はコルビュジエが考案したモデュロール(人体寸法と黄金比の基本寸法)をもとに設計されている。
カップ・マルタンの休暇小屋/コルビュジエ_e0116578_919229.jpg
現地の休暇小屋見学ツアー資料などによれば、コルビュジエがここにキャバノンを建てた経緯は、アイリーン・グレイ (1878~1976:アイルランド生まれの家具・インテリアデザイナーで建築家) の別荘「E1027」が、ジャン・パドヴィッチ (1893~1956:ルーマニア出身の建築家・評論家で建築雑誌の編集者) の協力のもと、1929年カップ・マルタンに完成したことに始まる。
地中海を望む白いモダニズムの家「E1027」は、建築家として最初に手掛けた住宅にして彼女の代表作となり、またその時デザインした家具の一つ「E1027サイドテーブル」は後に名品となっていく。その才能にはコルビジュエも嫉妬したという話もある。「E1027」を称賛していたコルビュジエは、1937年パリ万博での共同展示を行っており、この頃には毎年のようにカップ・マルタンの「E1027」に訪れ、1938年の滞在時には壁にフレスコ画を描いている。(コルビュジエが勝手に描き、アイリーンを激怒させたという話もある)1948年「E1027」のすぐ近くに軽食堂「ひとで軒」がオープンし、オーナーのトマ・ルビュタトとコルビュジエの付合いが始まり、1951年にはルビュタトにキャバノンのスケッチを渡し、交渉の末「ひとで軒」東側の土地を借り受け、プロジェクトがスタートして1952年に完成。その返礼として、1954年「ひとで軒」の拡張計画である宿泊施設ユニテ・ド・キャンピングの設計図を完成させ、1957年に完成を見るが予算不足で5室のみ。ちなみに、修復中であったE1027は今年の8月から一般公開が始まったようである。
下の写真は、休暇小屋に関連する建物の位置関係をGoogle Earthで見る。
カップ・マルタンの休暇小屋/コルビュジエ_e0116578_9252963.jpg

カップ・マルタンの休暇小屋/コルビュジエ_e0116578_9263335.jpg
上の写真は、埼玉県行田市にある「ものつくり大学」内に作られた「カップ・マルタン休暇小屋」の原寸レプリカである。これまでにも国内外のコルビュジエ展で、休暇小屋の原寸レプリカが展示されることはあったが、そのほとんどはインテリアで、外壁の丸太の丸身材の割付まで数えて作られた例は初めてのことだろう。
下の写真2葉は室内。家具・照明器具・洗面器など、細部にわたって精巧に複製されている。
カップ・マルタンの休暇小屋/コルビュジエ_e0116578_9293172.jpg
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toshinacHP
# by toshinac | 2016-10-09 09:31 | trip photos

小さな家/コルビュジエ

スイスのレマン湖東部北岸コルソー地方の湖畔に建つ「小さな家」は、コルビュジエが齢を重ねた両親のために設計した小住宅で、機能的な平面と優しい気遣いの工夫が込められた住まいである。既に設計していた「小さな家」の条件を満たす敷地として、1923年にこの地と定め、東西14m南北4mほどの矩形の建物を湖の際に建築、1924年に完成させている。
下の写真は湖側からの全景。庭の東側角の水際に建つ石壁の開口は、レマン湖とアルプスの景観をより印象付けるためのピクチャーウィンドウ。
小さな家/コルビュジエ_e0116578_9303744.jpg
敷地選定要因の一つでもあった湖とその先に広がるアルプスの景観を、余すところなく取込むための長さ11mの横長の連窓が住居の中心を成し、わずか60㎡ほどの小さな家に無限の広がりを与えているのが特徴的。正式な呼び名はビラ・ル・ラク(湖の家)だが、コルビュジエが自著で発表した「小さな家」が通称となり、父親が1年ほどの居住で亡くなった後、母親が一人で100歳まで暮らしたことから「母の家」とも呼ばれている。現在は博物館として一般に公開されている(冬季閉館)。
小さな家/コルビュジエ_e0116578_971553.jpg
上の写真は東側の庭からの眺め。当初は全て白い漆喰で仕上げられていたが、1950年頃、湖に面した外壁をアルミ板で覆っている。またこれより先に道路側外壁も亜鉛メッキ鋼板で覆われている。個人的には漆喰壁を継続してほしいところだが、メンテナンスを考えると致し方ないということか。
下の写真はその道路側全景。北西角の2階部分は、コルビュジエ夫妻が訪れた際に泊る部屋で、1931年に道路側の塀の増築に伴って設けられたという。
小さな家/コルビュジエ_e0116578_9104263.jpg

小さな家/コルビュジエ_e0116578_9125665.jpg
上の写真は、この住宅の重要なファクターの一つでもある横長の連窓。レマン湖の水平線とアルプスの山並が眼前に展開する美しい景観は、コルビュジエから両親への最大の贈りものであったろう。
下の写真は東側の庭先にある憩いの場。ピクチャーウィンドウが設けられた日陰を作る石壁には固定されたテーブルが置かれ、絵画のように美しい風景を眺めながら、心地よい時間を過ごしてもらおうという細かい配慮がなされている。さらに下の写真は額縁効果満点の風景。
小さな家/コルビュジエ_e0116578_915750.jpg
小さな家/コルビュジエ_e0116578_9152730.jpg

toshinacHP
# by toshinac | 2016-10-01 09:19 | trip photos

コルビジュエの建築/フィルミニ

コルビジュエの建築/フィルミニ_e0116578_8555526.jpg
フランスのリヨン近郊の地方都市フィルミニは、ル・コルビジュエの晩年の建築作品群を見ることができる街。1960年、当時のフィルミニ市長の依頼を受け、1万人収容のスタジアムと青少年文化センター、それに教会と丘の上の集合住宅(ユニテ・ダビタシオン)を計画する。そのほとんどが1965年のコルビジュエ没後の竣工だが、なかでもサン・ピエール教会は、コルビジュエが残した計画を基に1973年から着手されるが、財政的な事情によりに下部のコンクリートが打ち上がった(1975年)時点で工事は中断、未完のまま長く放置されていた。時は流れて2004年、コルビジュエ財団の尽力や市民の寄付などによる資金調達もあって工事が再開され、2006年11月に完成を見る。一説には、教会が完成したことはル・コルビジュエ作品の世界遺産推薦の機運を高めたとも指摘されているという。
上の写真は、フィルミニのコルビジュエ作品が集まる地区をGoogle Earthで見る。

青少年文化センター
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コルビジュエの建築/フィルミニ_e0116578_913864.jpg1965年に完成した青少年文化センターは、劇場や図書館や展示室等が入る文化複合施設で、フランス政府の「文化の民主化」政策事業の一環として建設されたもの。全長112mの建築で、1スパン7mの16スパンで構成された、非対称の放物線を描く吊り屋根構造の建築である。
上の写真は北西側から見た文化センター。
左の写真は西面ファサードの部分見上げ。




下の写真は東南側からの眺め。東側ガラス面の、ところどころ彩色されたリズミカルな窓枠は、ラ・トゥーレット修道院の特徴的な窓枠をデザインしたヤニス・クセナキスが担当している。
妻壁のレリーフはコルビジュエが好んで描いた牡牛のモチーフだそうである。彼方にスタジアムの屋根とサン・ピエール教会を望む。
コルビジュエの建築/フィルミニ_e0116578_96519.jpg
コルビジュエの建築/フィルミニ_e0116578_982680.jpg
上の写真は階段状の教室内部。吊り屋根の支持点(高さの差約3m)に、1スパン(7m)を4分割した位置にφ36mmのペアのケーブル架け渡し、上に厚さ100㎜の気泡コンクリート版を設置して屋根面を構成しているが、計画当初の図面では現場打ちのコンクリートスラブで、中央に柱も立っていた。

ユニテ・ダビタシオン・フィルミニ
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コルビジュエの建築/フィルミニ_e0116578_912818.jpg1967年に竣工したフィルミニのユニテは、奥行21m長さ130m高さ51mという巨大な集合住宅で、当初3棟の建設が予定されていたが、財政的な理由で実現したのは1棟のみ。
内部の構成はマルセイユのユニテと同じく、中廊下式の上下3層で一つのユニットを形成しているが、かなり簡素化されており、工事費で比較すると四分の一ほどで建設されたという。
住戸の一部が既に分譲されて改修されてしまい、建築当時の形とは変わってしまったところもあるらしいが、オリジナルデザインを残すべく、問題解決にむけて取り組みが進んでいるとか。

上と左の写真は、南北軸に配置された住宅の東側ファサード。



下の写真はマルセイユのユニテに比べ簡素化されたピロティの柱。
さらに下の写真は内部中廊下。
コルビジュエの建築/フィルミニ_e0116578_9592029.jpg
コルビジュエの建築/フィルミニ_e0116578_916063.jpg

スタジアム
下の写真は、古い採石場跡地に造られたスタジアムで観客席背後にサン・ピエール教会を見る。
設計は1954年にされていたが、プロジェクトが動き出したのはコルビジュエ没後の1966年で、1968年に完成。当初は観客席の上部全てに屋根が架かる計画であったらしいが、工事費の削減か中央部分だけで終わっている。
コルビジュエの建築/フィルミニ_e0116578_9191328.jpg

サン・ピエール教会
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コルビジュエの建築/フィルミニ_e0116578_9222772.jpgコルビジュエの没後41年という時を経てサン・ピエール教会を完成させたのは、フランス人建築家のジョゼ(ホセ?)・オーブレリー(1932~)。コルビジュエが亡くなるまでの最後のスタッフの一人で、この教会の設計に初期段階から関わっていたというオーブレリー監修のもと、長い工事中断を経て2006年に竣工した教会は、正式な教会という位置づけではなく、ル・コルビジュエという偉大な建築家の最後の作品の完成を目的としたもので、建物下階には4つの展示ホールと会議室、上階に四角錘状の上昇する空間が特徴的な祭壇と説教壇が設けられた集会場からなる文化施設である。
上の写真は東南側からの眺め。半円形の庇下のコンクリート壁に無数に開けられた小さな穴が、内部祭壇の薄暗い壁に星座を現出させる。左の写真は内部。祭壇背後の星が瞬くような光と、上昇する斜壁の最頂部から降り注ぐ明かりが生みだす幻想的な空間。
下の写真は西側からの眺め。
コルビジュエの建築/フィルミニ_e0116578_9304614.jpg

toshinacHP
# by toshinac | 2016-09-05 09:31 | trip photos